不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

UではなくSの物語

 柳澤健1984年のUWF』(文藝春秋。連載時に読まず単行本で一気読み。予想通り期待以上のおもしろさだった。いまだまとわりつくU幻想、さらに言えば前田日明の格闘王神話を引っぺがされる、または打ち砕かれる思いになるだろう。それは悪い気分ではない。複雑な気分にはなるだろうけど。しかし冒頭と終幕に書かれる中井祐樹の物語は文句なくすばらしいと誰もが思うはず。UWFに、時代に翻弄されながら、我が道を歩み、大いなる一歩を格闘技史に刻んだ中井祐樹の物語をここに持ってくる著者のセンスはさすがと言える。
 かつての日本プロレス界に存在した馬場の現実/猪木の虚構という二項対立の中で、猪木の虚構の中からその虚構を壊そうとして現れたのがUWFであり、中心となったのが皮肉にも現実を驚愕の虚構で覆い尽くした張本人タイガーマスクこと佐山聡だった。つまりUとは、虚構の体現者が虚構を壊そうとして足掻いた物語と言えるのだ。だから読み終わって改めて表紙に描かれたオープンフィンガーグローブをつけて佇むタイガーの姿を見て、悲哀すら感じるのだった。天才故に先進的で、純粋に理想をひたすら追い求め続けたが故に孤独になっていくのだから。佐山はすごい、すごいぞ佐山。掣圏道やいまやっているわけわからん事も、いつか凡人たちが理解できる時代が来るのだろうか。来ない気がする。
 冒頭にも書いたが、前田が従来抱かれているイメージと違っているのが興味深い。さすがハードファクトを見つめる著者、藤波との一戦も一般的には名試合扱いだが前田のクラッシャーの面を浮き彫りにして、表と裏の温度の差をくっきり出していた。こういった表裏の熱のギャップは読みどころの一つだろう。
 過去の資料からの引用も多く、中でもターザン山本夢枕獏の文章力は改めて読むと凄い。特にターザン山本のあの煽る文章。Uへの介入の仕方も含めて、長州が「Uはお前なんだよ、Uはお前が作ったんだ」と言ったのもわかる気がする。まぁそのターザン山本やジェラルド・ゴルドー堀辺正史の話をそのまま受け止めていいのか、というのは気になるポイントとして残るが。前田や高田など実際にいた団体に所属していたレスラーに話を聞いていないのは意図的だろう。
 と、散々わかったような口を利いてみたが、実は俺はUにほとんど思い入れがなく、知恵も考えも後付けのものである。世代的にすれ違っていたわけではなく、たとえばUインターが(見た目の)ピークを迎えた武藤敬司vs高田延彦戦が行われた1995年はばっちりプロレスを見ているはずだ。しかしUもUインターもvs新日もリアルタイムに見た記憶が全然ない。何故だろう、不思議なものだ。俺にとってのUはリングスの田村潔司やPRIDEの桜庭和志の中に見出す、残された思想みたいなもので、むしろそうだからこそUをちょっと神聖視していた気もするのだった。まぁUを語るのがこの二人でいいのかという議論あると思うがそれはまたの機会という事で。だから、前田やUWFという団体の評価云々よりも、本書によって浮き彫りになった、それこそ中井祐樹が言ったような、Uの延長線上にある日本の格闘技及びそこに込められた思想に、俺なんかは感慨深くなってしまったのだった。
 ところでUにこだわり続けた田村よ、お前はいまどこで何やってんだと検索してみたら、ブログに「拝啓アントニオ猪木様」なんて記事を書いていて、田村潔司から本書、そして『1976年のアントニオ猪木』への繋がりを勝手に感じ取ってしまった。
 まだ終わっていない。

1984年のUWF

1984年のUWF