不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

暁に背を向けて 何色の夢を見る

 2016年1月8日未明に「イエローモンキーのいた世界」から「イエローモンキーのいる世界」になっての一年間はいつも心のどこかに彼らの存在を置いていたし、チケット争奪戦を勝ち抜き三つのライブ――それぞれ意味合いの違う三箇所――に行けたのも幸運であったと言うしかない。運を溜めてここで爆発させたのかと、日ごろの己の運のなさも勝手に納得である。
 ライブは大いに楽しみ、浮かれていたわけだが、一方でこうも思った。彼らはこの一年間で「再びいる」現在から「かつていた」過去へ清算を、あるいは敗北覚悟で正面から喧嘩を売っていたのではないか、と。
 再集結ライブの一曲目に選んだのが一度も演奏しなかった“プライマル。”であった事、「YOKOHAMA SPECIAL」で最盛期のセットリストをミックスさせる選曲にした事、そして何より2016年12月28日行われたメカラウロコ27はその最たるものだろう。吉井和哉が「喜びという点であれを越えるライブはない」とまで言った黄金の思い出を彷彿とさせるセットリストは、コアなファンは感涙どころか興奮しすぎて爆死寸前になるような内容だったと思うが、「思い出と喧嘩をしても勝てない」(by 武藤敬司)のは自明であって、メンバーだってそれくらいは百も承知だろう。再集結までの15年の溝は埋まったとは思うけれども、15年の空白があったのはやはり事実であり、しかもメカラウロコ7からは20年である。
 それでも、たとえボコボコにされるとわかっていても思い出と殴り合って、「ここからでないと俺たちは始まれないんだよね」と照れ笑いしているように俺には見えてしまって、絶対にやると思っていたクライマックスのあの曲の「change's coming」のリフレインと旋律がより一層美しく響いた気がしたのだった。
 メカラウロコ27終演後に発表された東京ドームライブは、驚きはしたものの正直言ってテンションは上がらなかった。会場がデカくなればいいというものではないし、ライブ会場としては好きではないからだ。しかしあとで思い直したのは、バラバラでありながらバラバラなのを自覚する事で繋ぎ止めていた実質の解散ライブであったメカラウロコ8と、聞くも無残な“JAM”を披露したメカラウロコ15の借りを返したいのかな、という事だった。まだ日程は発表されていないし、(これまで書いてきた事も含めて)俺の思い込みに過ぎないのかもしれないんだけど、そういう気持ちになって、だったら俺も見に行くよ、絶対に行くよ、と思ったのだった。
 この一年間、メンバーは楽しかっただろうけど、同時にかなり疲れたはずだ。何せ50過ぎのオッサンたち。ずっとツアーをしていた、テレビにも出まくった、新曲も出した、紅白にも出た、年越してすぐにライブもした、そのとき吉井は一時的に声が出なくなった。少しは休みたいだろう。それでもなお、「Show Must Go On」、「The Yellow Monkeyは、止まらない」と走りだそうとしている。
 再集結一ヵ月後に、俺はこう書いた。

 それでも、明日斃れるとわかっていながら一歩でも前に踏み出そうとしてきたバンドが、新たな一歩をここで踏み出そうとしているのならば、たとえ再び斃れる事になったとしても、それはそれで彼ららしいと、私はその背中を押したいと思う。
 きっと、あの四人は最後まで笑顔でいてくれるだろうしね。

 全く同じ気持ちで、いまもいる。それが幸せでならない。