不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

明日を前に──The Yellow Monkey再集結への雑感

 2001年1月8日の活動休止ライブでも、3年後の12月26日に奏でられた残骸のような“JAM”を聞いた時でも、「聞けなくなるのだ」という思いは確かにあったけれど、どこか落ち着いた気分でいて、ではいつ解散を強く実感したかといえば、他ならぬ吉井和哉の2006年12月28日のライブで歌われた“JAM”を聞いた時だった。

 この年、年末恒例の武道館ライブは二日間あり、私は27日に行っており、28日の模様は後日DVDで見たのだが、聞きながら「ああ、イエローモンキーが解散したんだ、終わったんだ」と、突然淋しくなったのをよく覚えている。

 The Yellow Monkeyというバンドは、ステージ上では完璧なファンタジーとして君臨していたけれど、その裏で彼らがそのために肉体と魂を削っている事は誰が見ても明白で、彼ら自身が求める姿や音とファンが求める姿や音がずれて苦悩する光景はまさにロックバンドそのものであったために、熱いファンほどそれを感じるたびにより一層陶然としてしまったのである。輝くロックスターでありながら身近に感じ、憧れと共鳴という矛盾を同時に持てる虚実皮膜な存在だった。だから、ロックスターの格好をしながら、うまくもないアコースティックギターを持って、たった一人でバンドの代表曲を歌う吉井和哉の姿は、改めてロックバンドという虚構にさよならを言っているように見えてしまい、歌い終わってサンキューを三つ言ったあとに、「サンキュー ザ・イエローモンキー」という言葉も聞こえた気がしてしまったのだった。

 今回立ち上がったバンドの公式サイトでは再結成ではなく「再集結」と謳われ、あくまで「プロジェクト」であると書かれており、それがどんな意味を持つのかはまだわからない。過去背負っていた期待や重圧から解き放たれて、楽しそうにやっていくのだろうと想像がつくし何よりではあるが、まさか思い出作りのつもりではないだろう。自らの音楽活動が限界だと感じて解散したバンドなのだから、その先に行かなければ意味がない。明日2016年2月10日13時に新曲がラジオで一斉解禁されるという一報は、彼らが「再開するのならば新しいものを」という姿勢と覚悟を見せてくれる事を告げていて、本当に嬉しかった。それがどういう曲であれ。

 かつて吉井が「解散という名のバンド活動」と発言した事を踏まえて言えば、今回は「再集結という名のバンド活動」なのだろう。彼らの行動は、誰よりも彼ら自身がもっとも考えた末の決断によるものだから、基本的には(文句を言う事もあろうが)見守るようにしている。しているけれど、やはり妙に落ち着かない気分のままでもいる。なにせ緩やかに終わる姿を5年かけて看取り、その後10年近くの間、昂奮とメランコリーを胸に閉じ込めて過ごしてきたところへの復活なのだから。

 それでも、明日斃れるとわかっていながら一歩でも前に踏み出そうとしてきたバンドが、新たな一歩をここで踏み出そうとしているのならば、たとえ再び斃れる事になったとしても、それはそれで彼ららしいと、私はその背中を押したいと思う。

 きっと、あの四人は最後まで笑顔でいてくれるだろうしね。