不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

ティーンエイジ・ナイトメア/イット・フォローズ


「知らない人と交わると、取り憑かれちまうぞ」という田舎の伝承のようなエロスとタナトスの無慈悲な追いかけっこが、現代アメリカに舞台を移した、ある種の青春群像劇になっているという歪さと硬質なショットが刺激的。
 恐怖が近くにいるのではなく、恐怖が迫ってくる事に重きを置いた事でロングショットが映えるようになり、たとえITが遠くにあっても、いやあるが故に恐怖と緊張感が増幅される。高校でのあるシーンではITがいる事を観客だけが知り、それによってパンするカメラが何を映しているのか気になるし、いついかなる時であろうとひたひたとITがジェイ(マイカ・モンロー)に向かって歩いてくるイメージが焼きつけられる。
 この地がデトロイトである事は後にわかるが、時代設定は入り組んでいる。テレビはブラウン管のモノクロで映っているのは古いSF映画、ヤラ(オリヴィア・ルッカルディ)はスマートフォンか電子ブックかわからないが高性能な機械をいじくっていて、だけど車はどれもクラシック。そして、眠るシーンが多い。何となくITが迫ってくる時間がわかるにせよ、いつどこから来るのかと怯えている彼女らが安眠できるわけもない。いま何時なのかという描写も、もしかしたら時計すらなかったように思う。学校の講義が行われていたのに簡単に行かなくなったり、バイトをやっているのにそのあと働くシーンはなく、大人たちは教師が一瞬映るだけであとは親も警官も顔は見えず、出てくる場所も思い出の地ばかり。みな活発的ではなくどこか気だるさを携えていて、親に禁じられていた8マイルを超えた時にITの姿が誰になったかを考えると、ここで描かれているのはティーンエイジャーが見る悪夢ではないかと邪推してしまう。デトロイトという土地が現在どうなっているのかを思えば、車窓から見える荒廃した風景なども、彼ら若者たちの不安や虚無感を表しているように見えてくる。
 では、その場に居合わせてしまった明らかに馴染んでいない、非リア充といってよいポール(キーア・ギルクリスト)が何を見つめ、どう思い、行動するのかといえば、結果的には「恐怖に打ち勝って、愛しいあの子のハートをキャッチ」という言葉にすればテンプレートな構図になるが、その実は「自らが恐怖を得る事で、彼女のハートも得る」という倒錯したものであり、そのうちこの円環を生み出したのは鬱屈した思いを抱いたポールなのではないかとすら思ってしまったのだった。
「夕方5時になるとサイレンが鳴って、大人も子供もみんな家に帰るんだ」というセリフが某特撮作品に出てくるが、サイレンを鳴らさずにいれば家に帰らずにすむわけで、夢から覚めない悪夢のようなラストシーンの余韻がむずむずと残った。