叔父さんが亡くなった。63歳。まだ早いと思うが、数年前に足が壊死しかけるほどの糖尿病になったと聞いていて、その後の体調がよくなかったのかもしれない。
子供の頃は家が隣だったのでよく遊びに行ったし、旅行も一緒にした。我が家より先にファミコンのディスクシステムを持っていたのでよくやらせてもらいに行っていた。『スーパーマリオブラザーズ2』は叔父の家でやった思い出がある。しかし、青年になり、社会人になった頃から疎遠というほどではないにしろ、付き合いは薄くなってしまった。たまに食事をするくらいで、最後にあったのは三年ほど前、その時もほんの少しの時間だった。悪いなとは思っていない。それが我々の付き合い方だったのだから。訃報が届いた時も驚きはあったものの、淋しさや悲しさはそれほど生まれなかった。そのうち訪れるのかもしれない。
葬儀が終わり落ち着いてから、スマートフォンでニュースを見たら水木しげるの訃報を知った。93歳だし、不思議ではない。そうか、亡くなったか……と思っているところに、ジイさんとバアさんの会話が聞こえてきた。
「あいつ(叔父)はいくつやった?」
「63歳ですよ」
「そうか……60年生きたのなら十分やろ」
「あなた、いくつですか。91歳でしょ」
「俺は余分に生きすぎてるよ」
ジイさんの達観した考えからの言葉なのか、息子を失った悲しみを紛らわすための言葉だったのかはわからないし、知るつもりもない。でも、俺は水木御大の訃報とこの言葉を、たぶんずっと共に覚えているだろうと思った。
地元に戻り、いつも行く本屋に寄った。ここは本日、一旦閉店するという。理由は店主の病気療養で、「そのうち再開するかも」との事だった。つまりは、もし再開しなければ、そういう事なのだろう。次の店の再開と再会を強く願っている。
「さよならだけが人生だ」は于武陵という詩人の作品の、井伏鱒二による訳詩だという(林芙美子の漏らした言葉でもあるそうだが)。それに「ならば また来る春は何だろう」と続けたのは寺山修司だ。有名人であれ、身内であれ、友人知人であれ、ほとんど無関係の人であれ、別れがあるたびにいつもこの言葉を思い出す。