不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

思い出さなくなる

 中学時代の事である。俺はラグビー部に所属していたのだが先輩から、何をどう経由したのかは知らんが、川島なお美由来の「なおみ」というあだ名をつけられた。それが嫌で嫌で仕方なかった。意味がわからん、と。だが俺が嫌がれば嫌がるほど先輩はその名前で呼んだ。いつの間にか先生まで使いだして、「おい、なおみ。なおみッ! なに無視しているんだよ!」などと理不尽に怒られた時には心底うんざりし、しょうがないので渋々返事をしていたものだ。先輩がいなくなるにつれ呼ばれなくなり、俺が部をやめてしまえばもう誰も使わなくなった――。
 嫌な思い出と言っていいが、この件があったからといって別に彼女の事を嫌いになったわけではなく、かといって好きにもならず、身も蓋もない言い方をすればずっとどうでもいい存在だった。だけど、彼女を見るたびに中学時代をいつも思い出していたのは確かだ。その機会は今後は減っていくだろう。それはちょっと淋しい事なのかもしれないし、その淋しさが俺なりの追悼の仕方なのだと思う。
 松尾スズキはいまはなきブログでこう書いていた。

いつも、好きな人ばかり、早く逝く。
また心の中に墓が増えた。
ほんとの供養は葬儀に参列して泣くことじゃないと思っている。
彼女と俺の関係の記憶を自分の心の中の墓地のサイズにおさまるようデザインすることだと、思う。
俺には宗教がないのでそうするしかない。

 彼女は別に好きな人ではない。しかし俺の思い出の一つとして、俺の心の中に小さな墓を作ろうと思った。何故かそうしようと思った。