不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

わたしとファイヤープロレスリング

「ファイプロ」生みの親の早すぎる死。彼から受けた恩は大き過ぎる
 俺が《熱く、深く語れる》かはわかりませんが、俺なりの「わたしとファイヤープロレスリング」を書いてみたい。
 通称「ファイプロ」と呼ばれるこのプロレスゲームに触れたのはかなり遅く、プレイステーションから出たファイヤープロレスリングG』が最初だった。そんな俺が言うのもなんだが、ズバリ言ってこのソフトは名作だと思った。PS1はゲームデータのセーブをメモリーカードなるものにしていたのだが、『G』はこのゲーム一本でカード一枚使わなければならなかった。つまり、そう何枚もないメモリーカードの大事な一枚は『G』専用カードにしなければならなかったのだ。まずそれに衝撃を受けた。
 『G』の一番の特徴は「ファイティングロード」というストーリーモードがある事だった。須田剛一氏がシナリオを書いた『スーパーファイヤープロレスリングSPECIAL』の「チャンピオンロード」は、オリジナルストーリーだったのだが(未プレイだけど)、こちらはオリジナルではなく、いわば歴史大河ドラマであった。
 まず練習生として道場に入門、練習試合でどんな技を使ったか、インタビューでの受け答えにどう答えたかで、どのリングに上がるのかが決まる。ルートは「VIEW JAPAN」(新日)、「OLIVER JAPAN」(全日)、「新生 IW」(FMW)、「UHW」(UWF)、「USA」(WCWWWF)、そして隠しルートの「ジュニア」(みちのく)。それ以降も勝つか負けるか、人気があるかないかといった試合内容や、選択肢でルートは分岐していき、リングを駆け抜けていくのだ。
 つまり、これは「自分が投影されたレスラー」が主役となって、「日本プロレス史」(90年代からだけど)を再現しているわけである。これまで見てきたリング上のあんな場面こんな場面に、俺がいるのだッ! これには燃えた、燃えたよ。誰が書いたのか知らないが、シナリオは膨大で、分岐点も数知れず。とにかく遊んだのをよく覚えている。たしか田中稔みたいなキャラを作って、ヒクソンをボコボコにしたのをよく覚えている。ちょっと卑怯な戦い方だったけど。
 その後、最終作と言われた『Z』、さっさと戻ってきた『リターンズ』を買った。後者のレスラーメイキングシステムが肌に合わなかったので、『Z』ばかりやっていた。しかも、やるといっても操作はしなかった
 「ファイプロ」のすごいところは、このレスラーメイキング(エディット)だと思う。姿かたちのパーツはもちろん、技の種類も山のようにあり、細かく設定できる。さらに、どのような場面で何%の確率でどの技が出るのかまで設定できる。だから、「若元スペシャル'78(バーニングハンマー)は、体力少ない時に1%の確率で」とか「こいつは間接にこだわって」とか、こだわる事ができた。
 そんなわけで、俺も容量いっぱいの16人のレスラーを作って、妄想的団体運営、レスラー人生、ライバル物語を描いて、延々とコンピューター同士で戦わせていたのだ。「こいつとこいつは同期でライバル」「こいつはこのチームを裏切って、新チームを作ったけどそこからもはじき出された」「コイツはパッとしないけど、曲者。そろそろタイトル戦に出すか」と。一番ハマっていたころは、ずっとつけっぱなしで、リーグ戦を観戦していたものだ。いまは、PSをテレビに繋いでおらず、しまってあるのでやっていないけど、たまに思い出して、やりたくなる。
 もしも、「ファイプロ」の新作が出たら(ファイプロ2D宣言を受け継いだ作品ね)、買う。ハードも買ってしまうと思う。それくらい好きなゲームなのだ。
 俺はゲームより先にプロレスそのものを好きになったんだけど、間違いなくこのゲームによってプロレスへの思いは増幅されたと思う。
 増田雅人さん、有り難うございました。ファイプロ魂は不滅です。

ファイヤープロレスリングG

ファイヤープロレスリングG