不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

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 『ブリングリング』(監督・脚本/ソフィア・コッポラ、出演/エマ・ワトソン、ケイティ・チャン、クレア・ジュリアン、イズラエル・ブルサール、タイッサ・ファーミガ、レスリー・マン

「Let's Go Shopping」の掛け声から始まる、おそろしく緊張感のない泥棒行為がこの映画そのものを的確に表している。ボキャブラリィもなく、明日を考える事もなく、何をしているのかという自覚もなく、快楽を求めているというほどの強い欲求もなく、ただ何となく「楽しい」と感じる方向へ進めていく現在。楽しい場所へ行くチケットの有効期限が切れたら、はい、おしまい、とドライなもの。薄っぺらい彼女たちを、薄っぺらいまんま撮って成功してしまった、逆転の快作。
 事あるごとに行うスマートフォンの自撮りや、SNSのリアルタイム投稿、躊躇のない犯罪行為、事件が明るみに出ても続けるFACEBOOKなどなど現代社会を表す記号はいくつもあるけれど、深くは踏み込まない。実話ベースではあるが、冒頭に出てくる一文が「実話が元です」ではなく、「雑誌(『ヴァラエティ・フェア』)の記事が元です」で、 つまり、あくまで雑誌の記事だけからわかった事、思い描いた事だけを映しているのだ。一冊の本になっているにもかかわらず、わざわざ「雑誌の記事」としているのは意図的だろう。
 だから、そこら中に深く描けたり、突っ込んでいけたりする要素をちりばめておきながら、全くタッチしない。たとえば「何故マーク(イズラエル・ブルサール)が女の子だらけの中でやっていけたり、ピンクのハイヒールを盗んだりしたのか」とか、「ニッキー(エマ・ワトソン)一家の『ザ・シークレット』について」とか、「リンジー・ローハンへの憧れ」とか、前提となる彼らの背景とか、またその後とか――投げっぱなしにして、見ている者に想像させる。その想像させる事すらも、「ゴシップを見たいんでしょ、あなたたち」と言いたい、のかどうかもよくわからない。
 屈託も、退屈も、憂鬱も、倦怠も、そして暴力さえも、一瞬顔をのぞかせては、女の子の「アンタなに? つまんないんだけど」という一撃に打ちのめされてしまい、それがもっとも暴力的とも言えるのかもしれず、こうやって消費というものが大きくなっていくのだなと、ちょっとぞっとすらした。
 すっかりオッサンの私はこうやって遠いところから見た気分でいたんだけど、いまこうやってweblogを書き、TwitterFACEBOOKのアカウントも持っているのだから、彼らと同じ世界に生きているのではないか。それにいままで気付かなかった事に、またちょっとぞっとした。自覚を、そして距離感を持たねば駄目だ、何事も。
 ところで、映画に出てきたパリス・ヒルトンの自宅、ここは本当に彼女の家らしい。という事は内装もそのままなのだろう。完全にネタ扱いされたにも関わらず(されてもしょうがない内装だったが)、よくぞ貸したものだ。あまり詳しくない私でさえ彼女が結構な批判をされているのを知っているほどだが、本人はどこ吹く風で、気にしていないのかもしれない。生粋のセレブ(金持ち)って、良くも悪くも鈍感という才能が携わっている気がする……ソフィアも含めてね。