不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

風は吹いても木は揺れず

 風立ちぬ』(原作・脚本・監督/宮崎駿、声の出演/庵野秀明瀧本美織西島秀俊、西村雅彦)。書き散らかしで、足りない部分もあろうかと思いますが、とりあえず。

 実は俺はかなりのジブリっ子でどの作品も好きと言えるのだが、見終わってすぐに「つまらん」と思ってしまったのは初めてである。つまらないは言い過ぎか。うーん、いや、やっぱりこの作品自体の出来はあまりよろしくない。物語構築は雑でフラット過ぎるし、人物も描けていないし、細部もいい加減、夢の話はやたら説明的な上に多用されているので全く幻視的な効果が得られない。宮崎駿ならではの躍動感ある飛行シーンもこの作品に限って言えばぺったりしていて魅力がないし、いつもはうまそうな食事シーンも皆無。
 だが、それでいながらある種のおもしろさと見応えはちゃんとあって、それは何かといえば、この映画が「残り時間少ないし、いろいろ背負うのにも疲れたから、オマエらはどう思うか知らないけど、もう俺は好き勝手させてもらうわ」という、宮崎駿の相当にラディカルな宣言である事だ。
 戦争真っ只中で飛行機が即兵器となる、しかしそれでも飛行機を作りたい――二郎がそんな二律背反な思いで悩んでいるかと思えば、そんな描写はほとんどない。徹頭徹尾、「美しき夢」である「美しき飛行機」を追い求めている。彼にとって悪夢なのは飛行機が帰ってこずに墜落する、それだけなのだ。その飛行機が誰を殺そうと、また殺されようと、ほとんど意に介していない。ラストシーンの彼岸での邂逅に至っては、あまりの薄情さで口あんぐりである。
 つまり、これは「俺も二郎みたいになるわ」という事で、「歴史とか子供とか何とかかんとかじゃなくて、好きなものを作るんだ」と言い切っているわけですね。だから飛行機よりも、メガネや文房具、製図するシーンへの書き込みや音が一番見ていて感じ入るものがあった。初めて職場について、何とか定規を取り出すシーンは、彼が夢に取りつかれる瞬間で、あれは宮崎駿自身の姿でもあるわけだ。
 主役の声優に弟子の庵野を起用して、「愛してる」などと恥ずかしいセリフまで言わせている。「10年しか才能は持たない」(うろ覚え)といったセリフだって、延々とエヴァンゲリヲン作っている庵野への皮肉とも警告とも言えるようなものではないか。さらに、自分の作品に妙な解釈を加えるオタクにも「オマエらには語り合う友人も、チュッチュする恋人もいないんだろ。二郎(俺)とは違うんだよ、ガハハハ」とサディスティックに笑いかけているのである。宮崎駿はあの歳にしてさらなる冥府魔道へ行こうとしている。たぶん庵野を道連れにしたいんじゃないのか。
 そりゃーこれだけ戦争に対して右も左も関係なく、反戦すら声高に言わず、上流階級の話として労働者を蹴散らし、いろいろ膨らませそうな伏線はあるのに放り投げて、ただただ好きなことしかやりません――なんて映画を作っちゃったら、思わず『熱風』をフリーダウンロードにして、ある程度の言い訳をしたくもなるよなー。
 そういう意味で、たしかにつまらなかったのに、すげーおもしろかったんですね。こんな路線で続けるなら、ついていけるかはわからんけど、とにかく宮崎駿を追いかけようと思いました。
 ところで、上に掲載したのはマンガ版『風立ちぬ』の一幕。これ以外にもネットで見かけたのだが、たいへんに魅力的。この原作漫画だけでなく、宮崎駿の漫画をまとめて出してくれませんかね、最近文春ジブリ文庫を出した文藝春秋さん。


追記:
 などと鼻息荒く書いていたら、宮崎駿引退宣言である。次が見たかったなぁ。ちゃぶ台ひっくり返して燃え尽きたのかな。あ、でもあくまで長篇映画の引退で、短篇で暴れるかもしれないからそちらに期待しよう。