不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

作品の内と外

 フランク・ローズ『のめりこませる技術―誰が物語を操るのか』(フィルム・アート社、島内哲朗訳)現代社会において重要な位置に存在するメディア――テレビ、広告、映画、雑誌、小説、音楽、ゲーム、webなどなど――がどのようにして視聴者・観客を「物語」にのめりこませているか、というよりどうやって物語の中に組み込んでいくか、という方法を各分野の第一線にいる人達にガンガン話を聞いている。物語的に書かれているので、わりかし読みやすいのだが、かなりくどいので途中で飽きてきて、ちょいと疲れた。
 彼らの考察、そして取った方法がおもしろく、また各分野が意外と繋がっていたりするのが興味深い。前から思っていたのだが、つくづくもう一つの分野=枠の中でのみ作品が存在できる時代ではないのかもしれない。その事を本書で再確認できた。nine inch nailsや『ダークナイト』の試みは全然知らなかったし(まぁ日本ではやってないからな)、小島秀夫のある種の開き直った考えもおもしろかった。もしかしたら、ゲームというジャンルがもっともマルチメディア化したのかもしれない。
 こうなってくると大衆を物語に組み込んだもっとも大掛かりなシステムを作った媒体、ディズニーランドについても、もっと深いところまでエグッた論考やインタビューを読んでみたくなるが、それはいつになる事やら……(もう出てる?)。
 というわけで、本自体はおもしろく読んだのだが、書かれていた試みがおもしろそうかというと、俺自身は結構冷ややかに見てしまった。何と言うか、そこまで自分も入り込んでしまうとしんどいのだ。いろいろな媒体が繋がっている現在のやり方を見て、むしろ繋がっている事がつまらなく思えてしまう。別段、こういった試みに限ったわけではなく、最近は監督や俳優であれミュージシャンであれ、作り手側のインタビューといったものに興味が持てなくなってきてしまった。作品(中心)主義になったつもりはないのだが、どこかで「完成した作品を見て、自分が考えればいい。作り手側の言葉(思惑)は添えてあるものに過ぎない」と思うようになっている。評や論には興味あるのに。まぁいまのモードがそういう風なのだろうから、無理して読む事はないのだが。

のめりこませる技術 ─誰が物語を操るのか

のめりこませる技術 ─誰が物語を操るのか

 そんな状況なので、音楽雑誌も買わなくなっているのだけど、先日『bridge』が「吉井和哉 全40ページインタビュー」という特集を組んだので久々に手にとってみたが、やっぱり言葉があまり頭に入ってこなかった。ただ、俺の状況は置いておくにしても、このインタビュー記事はひどかった。最初はインタビュアーの渋谷陽一氏が馴れ馴れしすぎて鬱陶しいと思っていたのだが、しかし思い返せばそれが渋谷陽一という人でいまに始まったことではない。よくよく読んでみると、インタビュアー云々ではなく、インタビューを雑誌記事としてまとめた人(おそらくは若手編集部員)の問題かもしれないと思い至った。まるでテープを起こしたままなのだ。ミュージシャンや俳優など、いわゆるアーティストのインタビューはその場の空気を再現すべく、言い方言い回しをそのままにしたり、あえてキチンと文章を整理しなかったりするものだが、今回のはちとひどい。たとえば「でそれで」なんて言い方を何度も使っては駄目だろう。乱れすぎていて読むに堪えんよ、これは。『ロッキング・オン』ってこんな感じでしょ、と勘違いした若手がやったのだろうか。だとしても編集長の渋谷氏がちゃんとチェックすべき。『bridge』はThe Yellow Monkeyラストインタビューなど良記事がたくさんあった雑誌なだけに、何だかガックリしてしまったなぁ。