不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

陽はまたのぼりくりかえす

 試写会の段階から多くの方々が分析解説論評なさっているので、もはや俺如きが口を挟む事もなかろうてとは思うのですが、一応胸騒がせながら公開初日に見に行った者として、備忘録として簡単なメモを残しておきたい。
 ダークナイトライジング』(監督/クリストファー・ノーラン、出演/クリスチャン・ベイルマイケル・ケインゲイリー・オールドマンモーガン・フリーマンアン・ハサウェイトム・ハーディマリオン・コティヤールジョセフ・ゴードン=レヴィット

 そうそう、クリストファー・ノーランってこういう作品撮る人だよねと、皮肉半分に言いたくなってしまった。こういう作品とはズバリ言うならアイデア一発、頭で出来上がっている作品で、『インセプション』はその極みであろう。思いついたものを具現化(実現化)できるのは、むろん映画監督としての最大の武器と言ってもよく、本当に車を横転させたり、CGを使わずに飛行機を作っちゃって撮影したビジュアルの迫力は文句なしにすばらしい。それにかぶさるサウンドがまた重厚でたまらなかった(ベインの声も最高)。
 『インセプション』でもそうだったが、見ている最中はドキドキワクワクしながら見ているのだ。にもかかわらず、見終わったあとに熱が急に冷めて「おいおい……」と思ってしまう。如何せん身体性が皆無である。アクションシーンや女優をエロく撮れない事からも明白(今作のアン・ハサウェイはキレイに撮れてはいたけれど)。何より物語に血滾るものが一切ない。
 脚本の粗にいちいち突っ込みはしないけど、その辺について「そもそも映画はフィクションなんだから」と擁護する方がいたがそれは違う。観客は作品によって嘘の尺度や騙され方は合わせているし(『ダークナイトライジング』と『特攻野郎Aチーム』を同じ嘘の尺度で見ている人はいない)、嘘をつかれる気も満々なんだから、つくならちゃんと騙してほしい。嘘のつき方ってもんだってある。それが全然できてないのだから、批判されても仕方がない。あの爆弾に関しては言わずもがなである。
 俺が一番気になったのは、「誰もがヒーローになれる。/たとえば小さな男の子の肩にコートを掛けて、『世界はまだ終わりじゃない』と勇気づける――そういう簡単なことができる人だ」とバットマンに言わせておきながら、「簡単なことができる人」がこの作品で新しく生まれなかった事だ。いや、正確に言うなら一人いたのだが、個々人の物語ではなく、「簡単なこと」だからこそ立ち上がるべきは市井の人々であり、ベイン軍団と相対するのは警察ではなくゴッサム市民であるべきだったのではないか。
 あと、あれだけこだわっていた「殺さず」の信念があっさり崩れたのには、思わず声が出そうになったよ。悪党なんかぶっ殺せ、というならわかるが、だったら善と悪の二項対立を混濁させて、最後までバットマンを苦悩させた(いまもさせているはずの)ジョーカーはなんだったよと思う。
 と、文句ばかり書きましたけど、先に書いた通り見ている最中はたのしかったし、三人のマスクマンが顔も見せずに感情を醸し、次々に情緒を繋げて行く様は見事だったのも確か。どっちらけ紙一重のラストも、俺はアルフレッドが笑ってくれるなら、まぁいいかなぁと思ったよ。ゴードンとの訣別のシーンでグッと来たのになぁと少々がっくりもしたけど。ノーランの紡いだ一見まともだけどやっぱり異形の者たちの物語の帰結場所として、またノーランとバットマンたちが愚直に正義を、善を信じる心を貫き通した場所として、今作を飲み込んだ気分はそんなに悪くないよ。……ま、よくもないけどね。