不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

武士道という不条理

 何はともあれ、出来不出来の問題ではなく、この切腹イズムが海外で評価されるとはとても思えず、本作をカンヌに持って行ったのはミステイクではなかろうかと思った次第。
 『一命』を見た。監督、三池崇史。出演、市川海老蔵瑛太満島ひかり役所広司

 役所広司以下、俳優陣はみな静かな演技をこなし、中でも鍵となる瑛太は現代的な顔つきなだけにやや浮いていたものの、見事な地獄の散りっぷりを見せてくれた。しかし、それでも海老蔵という存在にやや圧倒されたように見える。大河ドラマの撮影などの裏話で、立ち振る舞いや坐った姿などを比べると歌舞伎役者は次元が違う所作の美しさを放っていると聞くが、本作を見て、なるほどなと強く実感した。しかも海老蔵が低すぎず高すぎず、そして美声すぎない絶妙な声で話すもので、日常パートはともかく、役所広司との対峙の場面での発声に得も言われぬ人外が如き異様さを感じ取ってしまった。
 静かなシーンが軸となっているため、三池監督がいわゆる「時代劇」を真正面から本気で受けとめていた。四季折々の日本の風景なり、悲しみの雨なり、決意の雪なりをポイントで抑え、力強く画を捉えている。だが、静かにディテールを重ねて構築しようとする時に、そのディテールがやや甘く、小さな違和感を覚えてしまうのが惜しい。小さくとも小骨のように気になってしまう。
 物語自体を言えば、時代劇にありがちな「悪いのはどっちだ」という二元論で見てしまうとわけがわからなくなってしまい、だんだん不条理・理不尽に思えてくる主人公側の言い分に酩酊してしまいそうになる。何がしたいんだろうこの人と思いながら突入する大立ち回りは、明確な標的もなく、狂い咲きのように死をばら撒き、失望絶望の真っただ中で実に見事な徒花を咲かせるのだった。
 キャッチコピーが「いのちを懸けて、問う―― なぜ男は、切腹を願い出たのか」で、まぁ俗世で弛んだ武士≒日本人へ、生きざま・死にざまなどを見せつける、というメッセージを読み取れない事もないけれど、個人的には海老蔵という死神的亡霊の不条理劇のように見た方が楽しめる気がした。
 そんなわけで、上記した『サムライ&エイリアン』はぜひ海老蔵主演でお願いしたい。検非違使海老蔵も見てみたい。いっそ野村萬斎陰陽師として登場させて(そのまんまやんけ)、二人の国産芸術の狂い咲き。見てみたいねぇ。