不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

君、愛の夢を継げ

 公開初日にもかかわらずヒューマントラストシネマ渋谷の一番小さなスクリーンだったので、拍子抜けした。まぁ『バベル』の菊地凛子みたいに話題があったり、ブラッド・ピット級の俳優が出ていないととこんなものなのかもしれないが。
 BIUTIFUL ビューティフルを見た。監督・脚本・プロデューサー、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ。出演、ハビエル・バルデム。プロデューサーにはギレルモ・デル・トロも名を連ねている。

 これまでタッグを組んでいた脚本のギシェルモ・アリアガの脱退によって、ある意味トレードマークとも言える複数のエピソードを組み立てて映画を立体的にしていく手法はここにはなく、一人の男の一つの街の物語に絞っている。その構造は上に組み上げるのではなく、ゆっくりと底が抜けていくようで、薄くなっていく呼吸をかみしめるような作品に仕上がっている。
 余命二カ月を宣告されたウスバル(ハビエル・バルデム)、我が身を振り返り、子どもたちのために残された時をどう過ごすのか。と書けば感動巨編を思い浮かべがちだが、ウスバルは注射が下手な看護婦に変わって自ら注射をしたり(つまりはドラッグの経験がある)、海賊版売買の仲介をしたりして生計を立てている男なので、そうそう事は簡単ではない。彼が抱える問題には、単なる個人ではなく移民問題という大きなものに繋がっている。
 イニャリトゥの作品は身体性が極めて薄く、本作でもそれは変わらないのだが、真に迫るバルデムの演技とロドリゴ・プリエトが映す美醜兼ね備えたスペインの街並みが血肉となって、一人の男の肉体が蝕まれながらも、反比例するように精神の純度が増していく光景を映像として見事に表現していた。いささか長すぎるし、またディスコを堕ちた夢の場所として使うのかとうんざりした部分もあったけれど。
 この間違った綴りのタイトルから自らの人生を振り返った上で、世界の美しさを再確認するような話だと想像できるし、その読みこみ方はその通りなんだけど、安易に涙を流すには彼の前に横たわった死体の数は多すぎる。世界は変えられない、死も避けられない、いまさら良き人間になんかなれない、多くの屍を、多くの人生を踏みながら歩いてきた。
 それでいながら、そこに死者と対話ができるというオカルトチックな能力をあっさりと投げ込んできて、ヒリヒリとした焦燥感のある現実と、非現実の対話がない交ぜとなった不思議な混沌を作り上げている。
 死ねない、死にたくない、死ぬな。もがけ、あがけ、生きろ。それでも人は死ぬ。残酷だし、過酷だし、決して美しい人生ではないけれど、痩せほそり、血尿を出し、オムツをしながら子どもを思い、愛し、時に地面に這いつくばり、時に空を眺め、時に人を傷つけ、時に死者と話し、時に人を救ったその生きざま。 
 娘に訊かれた「beautiful」の綴りを、読んだままだよと「biutiful」と書いてしまうウスバルの人生は文字となって残されるものではないけれど、口伝として引き継がれる。その果てに到達したのが、円環するプロローグとエピローグで行われる父から娘への儀式であって、自分以前の歴史と、「父が母に贈ったものを、自分が妻に贈った」指輪を娘へ引き継ぐ事で、彼の愛や生きざまが繋がったのだった。
 そして彼が見た、雪の森での男との邂逅。フクロウの最後、海の音と風の音、煙草と穏やかな笑み。森の先にあるもの。