不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

それぞれの拳を握り

 試合前に選手とトレーナー(セコンド)が額を押しつけあったりするシーンは格闘技でよくある光景だが、それを見るたびに思い出すのは、PRIDE1において高田延彦ヒクソンにボコられた安生洋二とリング下で抱き合ったシーンだ。プロレスファンはその姿に感動したものだが、それをリングの上から見ていたヒクソンは「強い人間は、戦う前に誰かから力をもらったりしない。あれで勝ったと思った」と冷徹な事をのちのインタビューで言い放った。ほっとけよと思いつつも、妙に印象に残ってしまっている。ヒクソンの呪縛。ここから解き放たれる事はないのかもしれない……映画と全然関係ない事だけど。
 『ザ・ファイター』を見た。監督、デヴィッド・O・ラッセル。出演、マーク・ウォールバーグクリスチャン・ベイルエイミー・アダムスメリッサ・レオ

 アカデミー助演男優賞を受賞した事を知っていたからとはいえ、冒頭から登場人物に乗り移った、というよりは彼がその人物そのもののようなクリスチャン・ベールの演技が凄い。そこから一気になだれ込む路上でのオープニングシーンには、否が応でも盛り上がってしまった。
 ボクサーが主人公で、リアルなファイトシーンが満載のわりには、ボクシングに対して妙な淡白さがあるように思えてしまうわけだが、ボクシング映画やミッキー・ウォードというボクサーの自伝というよりは、兄弟愛、親子愛、男女愛、そして家族愛を描いた作品であり、言うなれば、それぞれがそれぞれの場所で戦っている物語の歴史であり、なるほど『ザ・ボクサー』ではなく『ザ・ファイター』というタイトルなのも納得である。重層的な構造で、一つひとつの物語が繋がり共鳴し合っている脚本がすばらしい。
 それにしたって父親以外なかなかのグズ連中が、キッカケさえあればこんなに劇的に変わるもんかね。人間、意志さえあれば変われるもんなんだな、しみじみ。そして、女って強くて怖いね……7人の姉を従えた母親のあの魑魅魍魎っぷり。それに対抗するエイミー・アダムス扮するシャーリーンの修羅っぷり。恐ろしい。
 演技のアンサンブルが作品を一気にボトムアップさせていて、中でも前述したとおり、狂気すら漂う役作りをするクリスチャン・ベールの結集である兄ディッキー・エクスランドは、圧倒的でありながら他を喰う事もなく、惹きつけていた。この映画が、過去の栄光と幻影、そしてドラッグとの終わりなき戦いを続けるディッキーの物語が中心となっているのは明らかで、彼の鬼気迫る姿には、いろんな意味で度肝を抜いたし、感動すらした。なんといっても、出所後に弟の彼女との“対決”シーンがすばらしく、ようやく戦いを終えられた後の、あの後ろ姿に込められたものには、言葉も出なかった。
 対するマーク・ウォールバーグは生来の顔の固さは相変わらずで、没個性的に見てしまったものの、実はあの兄にしてこの弟ありという対比の図式ができあがっており、朴訥としながら強くものを言えず、でも頑固で真正面からしか物事もボクシングも受けとめる事しかできないボクサーに見えた。だからこそ、ラストの「交代」のシーンに、グッときてしまうのだ。
 全編説得力あるリアリティで仕上がっているものの、たとえば個々の確執やドラック問題などをかなりドライに扱っているのは少し気になった。まぁ、そこまで立ち入ればテーマがこんがらがってしまうので、あれくらいの描き方でいいのかなとも思ったけれど。
 しかし、そうはいってもこれだけ焦点・物語の流れが多いのだから、クライマックスで一気に全てを集約して爆発させるようなハッタリは欲しかった。中盤の試合の畳みかけの演出・編集のセンスはいいし、マーク・ウォールバーグはやや太すぎる気もするけどみっちり作りこんだ身体でなかなかの迫力あるファイトをしている。さらに、試合シーンではわざわざテレビ放映のような映像にし、リアルさを追及して、手に汗握る瞬間も多い。映画のピークは直前で、最後の試合自体はご褒美みたいなものではある。だが、いい素材が揃っているわりには、試合の味付けはあっさりしすぎていて、『ロッキー』みたくしろとは思わないにしろ、もう少し盛り付けをしてもよかった。
 と、ラストは不満たらたらではあったが、エンドクレジットでご本人登場、その屈託ない笑顔とじゃれ合いに、「ま、いっか」と解放感に浸ってしまったんだけどね。
 ところで、音楽が結構大音量で流れて、知ってる曲も多々あったんだけど、特にあるシーンで流れたLed Zeppelin“Good Times Bad Times”にはちょっと驚いた。まさに「いい時間/悪い時間」のモンタージュのようなシーンで、合ってるっちゃ合ってるんだけど……90年代後半のアメリカが舞台の映画で、なぜツェッペリンが。その疑問と同時に、爆音で流れる音に聞き入ってしまったよ。名曲の使い方って難しいねぇ。