不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

「私」の名の元に鉄槌を

 トゥルー・グリットを見た。監督・脚色・製作、ジョエル・コーエンイーサン・コーエン。出演、ジェフ・ブリッジスマット・デイモンジョシュ・ブローリンヘイリー・スタインフェルド。製作総指揮、スティーヴン・スピルバーグ

 コーエン兄弟の西部劇、という事で過剰に期待してしまったせいか、やや拍子抜けな一本だった。西部劇に必要な荒野感が足りないとでも言えばいいのか。むろん俺が思い浮かべるのはクリント・イーストウッドセルジオ・レオーネのもので、そういったある意味できあがっているテンプレートに乗るのか乗らないのか、ギリギリのラインを丁寧になぞっていくところがおもしろくもあり、また不満でもあったのだ(テンプレートにあるような、夕日をバックにして馬が駆けていくシーンの美しさは、現代西部劇の中でも白眉なものだったけど)。
 オーソドックスな流れの中で、不意に登場する縛り首の死体と熊男の出現や、夜のシーンにおける闇と光の構図とバランスはすばらしく、クラシカルな西部劇の中で不意に出て来た白昼夢のようなファンタジックなシーンに、腰のあたりがゾワッとした。
 オリジナル脚本ではなくリメイク作品であり、しかも製作総指揮にスピルバーグがいる事で、善かれ悪るかれ、冷静かつ抑制のきいた作品となっており、その根底にある妙な緊張感が不思議な雰囲気を作るとともに、監督自身の身体性を失ってしまっているようにも思えた。ラストの銃撃戦の、緊迫感のなさといったら。とはいえ、そもそもこの兄弟監督に「身体性」なるものが備わっているのか、という疑問もあるのだけれど。
 役者陣の奮起はすばらしく、見事な演技のアンサンブルでこちらを惹きつけてくれる。ジェフ・ブリッジスのしゃがれ声にはうっとりするし(やや動きが重たすぎる気もしたけど)、マット・ディモンは弱めのキャラではあったがさすがの好演。泣き言を一切言わず、クールかつタフなハードボイルド・ガールを演じたヘイリー・スタインフェルドは、今後とも注目していきたい。
 しかし、個人的には敵役にグッときた。出番は少ないけれど仇役であるジョシュ・ブローリンは、ニヒルな顔つきがたまらなかったし、何よりネッド・ペッパーを演じた髭もっさりのバリー・ペッパーの、色気には参った。
 「正義」の名の元に何かをするのではなく、あくまで復讐劇――しかも14歳の少女の――に終始しているところがすばらしい。そこに追随する者たちも、金、名声、意地、信念といったそれぞれ思い思いの矜持を胸にし、勝手気ままに行動し、その流れの中で芽生えた、ある種の友情であり尊敬であり、また敵対心が燃料となって、復讐劇はさらに燃え上がっていく。
 ここにあるのは、まぎれもなく『ノーカントリー』における老保安官の怒りや嘆きから伺える「古き良き、美しきアメリカ」そのものである。『ノーカントリー』で今や否定せざるを得なかったアメリカの原風景を、ここで脱構築のような形で描き出し、アメリカを含めた世界の崩壊した価値観や闇、ひいては一部の者が掲げる「正義」なる胡散くさいものに、鉄槌を下しているのだ。
 劇中で撃たれる弾丸は、人間の意志と行動において撃たれるものであり、それ以外の何物でもない。その事を自覚している人間だけが、引き金を引ける事を忘れてはならない。一発撃つ、そのたびに自らに必ず反動が来る。そして、その反動こそが、血と暴力の中においての、唯一の矜持となるのである。
 ま、不満はあるが、難しい事を考えず、物語に身を委ねられるなかなかに楽しめる作品なのは確かだ。とはいえ、これをコーエン兄弟の最高傑作とはとても言えないけれど。仮に『シリアスマン』と『トゥルー・グリット』をもう少し間を空けて、または順序を逆にして見ていたら、ちょっと違った印象を受けた気がする。