不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞

 平野啓一郎『ドーン』を読んだ。エガちゃんも喪黒福造も関係ない。あ、でもある意味「心のスキマ」の話かもしれん。久方振りの読書がこの小説というのは選択を間違えたか。
 2036年。宇宙船「ドーン」の乗組員の物語。ブッシュやオバマ、ブルース・スプリングティーンなど実在の人物や歴史上の出来事が出てくる。リアリティがあって本当の未来に思えてきて、その辺の書き方はとてもうまく、感心した。
 宇宙船といっても、宇宙人だの第三惑星だのSF的なものが一切出てこない。むしろ中心になるのはアメリカの大統領選で、極めて政治的な事柄が主軸となっている。著者の政治的メッセージが見えるので、そこでうんざりする人もいそうだが、俺はすんなり読めた。
 人格は一つではなく、一人の中に様々な人格を持つ「分人」が複数存在している。これはそんなに斬新でもなんでもない発想だが、本書ではこれを一つのイデオロギーにまで引き上げている。その論理はなかなかおもしろくて、読み応え十分。
 いろいろな要素が複雑に絡んでいるが、ものすごくざっくり言うとテーマは「人格とは何か」だ。人格、ひいては他者との関係、そこから派生する己の存在。さらに突き詰めれば、小説における一人称と三人称の問題にも辿り着く。全く違う思想の人物を書き分けられるか。
 小説家として平野啓一郎が、人称を突き詰めるために書いた物語に思えた。実験、いや、挑戦だったのかもしれない。根源的なテーマに、様々な問題を書き込み、肉付けしていき、見事なタフな小説が出来上がった。
 人格=自分とは何か。向き合えば向き合うほど分化していく。分化の果てに、他者と繋がっていられるのか。
 ここでは、やや単純ではありながら、タフな小説だからこそ力強い答えがある。救われはしない。だが、ほっとした。とはいえ、この小説を自分自身のテーマとして読む事は、俺にはできなかったけど。そこもまた、分人、分化の問題なのかもしれない。
 読み応え十分な一作だったが、個人的にはマッチョすぎる。ボクサーじゃないけど、つけた筋肉をそぎ落とすような減量をして、ギリギリのものを読んでみたかった。完成されているというか、余裕があるというか。「完成されているからいや」って、相当わがままな感想だが、もっと先へ行けそうな気がした。

ドーン (100周年書き下ろし)

ドーン (100周年書き下ろし)