不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

おかっぱとチンコ


 『しんぼる』を見た。監督・企画・脚本・主演、松本人志
 雑音を拾い過ぎたので書きにくいが、つらつらと。
 映画は実世界「メキシコ ルチャリブレ」パートと虚世界「白い部屋 パジャマ男」パートの二つが同時進行で進んでいく。
 「ルチャリブレ」はなかなかいい出来。メキシコの熱気が伝わってくるし、最低限の描写で状況を説明しきって、試合までの緊張感を高めさせる。レスラーもいい動き。このままルチャリブレの映画にしてしまってもいいくらいのクオリティで驚いた。が、ここは松本自身が監督していないという話を聞いた。ううむ。
 肝心の「白い部屋」パート。部屋から出るために、天使のチンコをはじいて出てくるアイテムを駆使する。何が出てくるかわからない。試行錯誤。唐突な展開、シュールなアイテム、繰り返される行為。淡々とした反復、不条理三歩手前で、嫌いではない笑いだ。「観客席には全然笑いはなかった」と書いているブログがあったが、俺の時はそんな事はなかった。
 とはいえ、やはり首を傾けたくなる所は多々あった。たとえば、松本人志の絶叫はやや耳障りだったし、笑いにオチをつけてしまう事で逆に笑えなくなったネタもあった。もっと不条理にすればよかったのに。
 何より、松本人志自身が主演を担うのはまずかった。ビートたけしの場合は空虚なヤクザという役が多く、違和感が多過ぎるからこそ見られるわけだが、パジャマ男は松本自身にしか見えない。そして、松本自身がそれほど演技やパフォーマンスがうまいわけではない。5分のコントの連続ならば問題ないが、1時間半の映画に出ずっぱりは無理だ。
 上記は表面上の問題。さて、内容はというと。
 この映画は、簡単に言えば松本人志の宗教的観念世界、もっと言えば神を描いている。これは簡単にわかる事で、「何がなんだかわからない」という人はこの映画以外もわからないと思う。
 おもしろいのは、松本人志がニヒリストだという事。世の中に起こる奇跡、出来事は運命や、神の意思が介在しているのか。だとすると、その神はどんな存在なのか。介在する理由は何か。それらの根源的な問いかけに、徹底したニヒリズムと笑いで疑惑の目を向けたのが本作なのだ。
 なるほど、しょせんはどっかのオッサンがチンコをいじくるようなものなのかもしれない。神の意思も、人間の存在も、奇跡もたいした意味なんかないのだ。
 斬新ではないけれど、その思想をこういった形で描いたのは、なかなか興味深い。
 ただ、問題があるとしたら映画監督としての力量がついていっていない事だ。伝えたい事、言いたい事はよくわかるが、表現しきれていない。「ルチャリブレ」と「白い部屋」がいずれ交錯する事は観客は誰でも予想している事なのだから、どこでどう交錯させ、思惑を爆発させるかが重要だ。ところが、一つのアイデアがだらだらと続くだけで、世界観が構成されず、交錯しても全く爆発力がない。しかも、そのオチもたいした笑いではない。
 それでもまたマシだったけど、そこからの映像の陳腐さといったら、友人と一緒じゃなかったら席を立っていただろう。かろうじて最後の瞬間は見られるものだったが。本当に、あんなもん撮るなよ。誰か言ってやればよかったのに。「なんすか、このクソみたいな展開は?」って。20分ばっさりカットしていい。
 力量もそうだが、何より映画監督としての覚悟がない。安易だし、「ほら、お笑い芸人だし」という甘えが見えた。そんなもんで映画を撮って欲しくない。
 松本人志がお笑いの天才かどうかは、よくわからん。ファンでもないし。しかしある種の才能がある事はわかる。だから思うのだが、もっと直球勝負をやってみればいい。先人に北野武がいて意識してしまうし、何かと注目されてしまうし、本人もビックマウスだから、「(他人とは違う)映画」に挑戦してしまう気持ちはわかる。だけど、それでうまくいくほど「映画」は簡単じゃない。「お笑い」好きでよく知っているから新しい「お笑い」をやるんだ、と最初から変化球を狙って成功するほど「お笑い」は簡単じゃないはずだ。「映画」だって同じだろう。
 剛速球、ド真ん中の松本人志映画を見てみたい。できないんなら、ま、それまでだけど。