不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

理想はどこに?


 『バーダー・マインホフ 理想の果てに』を見た。監督、ウーリー・エデル。出演、マルティナ・ゲデックモーリッツ・ブライブトロイ、ヨハンナ・ヴォカレク、アレクサンドラ・マリア・ララ、ナディヤ・ウール、ヤン・ヨーゼフ・リーファース、ブルーノ・ガンツ
 70年代に大暴れをしたドイツ赤軍の10年間の闘争。体制/反体制のどちらに偏る事もなく、中間の視点で描かれている。当然、日本赤軍を思い浮かべるが、俺はそれほど赤軍について知識を持っていないので比べる事はできない。ただ、アメリカともソ連とも離れた、海に囲まれた日本と、冷戦の舞台となり東西に分けられたドイツとでは、「冷戦」の重みが違う気がする。思考で考える日本と、皮膚感覚のドイツの違い、と言えるかもしれない。
 映画はバーダーと彼の恋人エンスリン、そしてジャーナリストだったマインホフの三人が軸となる。彼らがどういう過去を持っているかはあまり描かれておらず、なんとなくしかわからない。だから、ちょっと置いてきぼりを喰らった感があり不満だが、個人が薄いぶん、集団・組織がクローズアップされている。
 理想を持ち、現状をどうにか打破したい。しかも、体制側は腐敗しており、選挙で一票という生ぬるいやり方では何も変えられない。だから集団を形成し、過激な手段に出る。その思いが純粋であればあるほど、人が集まれば集まるほど過激さは増していく。理想を持つ事は重要だし、何かを変えようと行動する人はすごいと素直に思う。しかし、暴力破壊行為の果てに待っているのは破滅でしかない。
 案の定、彼らの活動は結局、袋小路に陥り、いつしか破壊のための破壊、運動のための運動、革命のための革命になっていった。そこに当初の理想も、意味もない。そうなったのはいつかはわかりにくいが、テロ行為の果てとは結局そこなのかもしれない。こうやって破滅するだろう、と思った通りに彼らは破滅していった。
 そして、ここからあのミュンヘンオリンピックの事件や、IRAタリバンへと道は繋がっている。暴力は暴力にしか続かないのだろうか。
 俺はあまり革命というものに心が動かない。いや、革命ではなく、暴力破壊行為に、だ。
 何も平和主義を気取るつもりはないのだが、暴力や破壊は刹那的なものに過ぎない。無秩序、無政府、反体制がポジティブな考え方とは思えないのだ。行動の原点がそうであっても、それを貫き通す事はナンセンスではないかと。
 もっと全国的規模の、草の根的なものでなければ、何も変わらない。少なくとも、暴力や破壊で生むのは一時の力と恐怖だけで、何も動かさない。実際に、多くのノンポリ一般市民は動いていない。時に政府に怒り、時にテロに共感し、時にテロに怯えながらも、普通の生活を過ごしている。この認識、感覚の溝をどう埋めるかに革命の成否や是非がかかっているはずだ。
 彼らの純粋さ、理想を持って行動する姿は、まぶしく、頼もしい。しかし、純粋であるがゆえに破滅へとひた走ってしまった。純粋さが、人間にとってもっとも美しいものであると同時に、怖いものなのかもしれない。
 最後に、ヌーディストビーチ場面などの裸にボカシが入りまくっていたのには笑った。大人の男女は当然として、少年少女まで。あれはもともと入っていたのかな? なんだかなぁ。