不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

それでは皆様ご一緒に〜

 
ヤッターマン鑑賞。監督、三池崇史。出演、櫻井翔福田沙紀生瀬勝久ケンドーコバヤシ岡本杏理阿部サダヲ深田恭子
 前評判はいろいろ聞いていたし、予想通りと言えば予想通りなのだが、期待以上の出来で正直驚いた。
 はっきり言って俳優は生瀬勝久阿部サダヲ以外は素人演技である。間の使い方は下手だし、声に張りもなければ、セリフは棒読み。本来なら見るに堪えない演技だが、その素人演技が不思議と映画世界にマッチしている。ただ、トンズラー役のケンドーコバヤシだけは、最後まで無理が見えたが。
 アニメの中での行動をそのままやればどうなるか。現実ならば無理がある事が、ギャグとして完全に再現されている。ヤッターマンに変身して戦うのは週一回とか、ヤッターワンで高速を乗る時にETCカードを設置するとか、いちいち細部に凝っていて笑える。
 冒頭、いきなり出てくる「みなしごハッチ」の銅像と「ハッチ公前」の文字で、「いい加減にしなさい!」と突っ込むと同時に、その世界にはまってしまう。原作への愛があふれており、ずっとニヤニヤしっぱなし。ヤッターキングの歌をザ・クロマニヨンズが歌うあたりのニクさもたまらない。
 ところが、こだわった細かなネタに比べて、メインストーリーはこれでもかとカラッポ。突っ込めばキリがないほど投げやり。だが、そんな投げやりも「そうですよ」と簡単に反論されそうな世界。ここまで空虚で中身のつまった、アンビバレンツな世界を構築できたのは、凄い。
 本作でもっとも重要なのは、その妄想の暴走である。ボヤッキーの「全国3000万の女子高生のみなさん」をそのまま再現し、山積みの女子高生に埋もれながらドロンジョのペディキュアを塗るシーンに、果たしてお子様はついていけるのだろうか。ペディキュアという選択がまたきわどい。
 深田恭子の数々のコスプレ、岡本杏理のふともも、そして極め付けが「小さなアリ・ロボに身体を這いまわられ、毟られ、身もだえるバージンローダーに発情するヤッターワン」。隣の席に小学生が座っていたが、一緒に来ていた父親が「これ何?」と質問されてどう答えていいか焦っていたぞ。それだけに飽き足らず、ヤッターマン2号を「二号さん」と呼ぶのを、「さんは要らないから」と修正するシーンもひどい。
 各方面で絶賛されているドロンジョ役の深田恭子は、やっぱり絶品。エロいんだけど、そのエロさはギリギリ許容範囲内におさまっており、下品ではない。妖艶で色気たっぷりでありながら、どこか子供っぽさがあり完璧にかわいい。
 俺の記憶では、深田恭子はTVドラマ「神様、もう少しだけ」で援助交際をしてエイズになるというショッキングな役で注目されたはずだ。アイドルみたいに売り出されてもおかしくない存在なのに、気合い入ってんなと思ったものだ。次に俺が注目したのは『Dolls』(北野武監督作品)で、「アイドル」というカラッポな存在を、カラッポに演じて、すげぇなと思った。彼女はカラッポである事を受け入れ、カラッポを埋めるかのように、カラッポを演じていたのだ。
 そして、カラッポであるが故に、『下妻物語』のゴスロリや『富豪刑事』の大金持ちといった、虚構の塊のような役を自分のものにできるのだ。その彼女がドロンジョを演じるのは、いま考えれば自然なのかもしれない。そんな虚構の境地にいる女性であるドロンジョが、普通に恋をして、普通に結婚をする事を夢見る。その相手が、キャラの立っていない空気みたい存在であるガンちゃんだという事も、なるほど、納得だ。そういえば、ガンちゃん演じる櫻井翔も、嵐でなければ没個性の普通の男の子に見える。だからこそガンちゃんが演じられたわけだが。
 物語なんざ関係なく、瞬間的な快楽を楽しむ映画だ。その快楽は空虚に見えるんだけど、実は空虚がつまっている快楽であり、わけがわからん。それでいて、しごく真っ当な映画でもあるから、なんとまぁ不思議な映画だよ。
 とにかく、考えずに感じろ、楽しめ! 必見。