不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

抗議のヒゲ


 花の生涯梅蘭芳鑑賞。監督、チェン・カイコー。出演、レオン・ライチャン・ツィイースン・ホンレイ、チェン・ホン、ワン・シュエチー、ユィ・シャオチュン、安藤政信六平直政
 勿体無い、というのが率直な感想だ。
 実在した京劇女形俳優・梅蘭芳の物語である。三つの時期にわけ、梅蘭芳という人間を描き出す。2時間47分と長尺ではあるが、時間はあまり気にならない。京劇という馴染みの薄い舞台も堪能できるだろう。とはいえ、映画としては中途半端な感が否めない。
 三つの時期とは、まずは青年期。期せずして師匠と新旧演技三番勝負をする事になり、新しい京劇を作ろうとする野心ある梅蘭芳がいる。次に成熟と苦悩の時期。中国では大スターになるものの、失敗できないアメリカ公演を恐れる。全てを失うかもしれない恐怖を抱いた同時期、一人の女性と出会う。最後は、中国が日本に占領された時期。一貫して反日の立場を取り続け、歌わない事で戦う。
 青年・梅蘭芳時代がいい。未熟ながら、若さあふれる妖艶さをにじませ、京劇に新風を巻き込む。師匠との三番勝負も、なかなかだ。大人になってから、キレイでも妖艶さがなくなってしまったが、男形のチャン・ツィイーがカバーしている。脇役もしまっており、演技で人物と関係を魅せてくる。特に義兄と梅蘭芳との愛憎絡み合う関係は、秀逸。
 どの時期もテーマがあり、丁寧に描かれているが、まるでいくつかのエピソードをごそっと削除したと思うほど急な展開ばかりである。むろん、長ければいいものではないのだが、丁寧に描かれているだけ戸惑ってしまう。
 正妻が愛人に言う。
梅蘭芳はあなたのものではない。わたしのものでもない。観客のものなの」
 俳優、とりわけスターと呼ばれる人間の本質は、まさにこれである。しかし、この映画では「観客」が全く描かれていなかった。新しい京劇を、成熟した芸を、誰に見せているのか。アメリカ人に京劇を見せるとは何なのか。京劇をしない、歌わないとは、どういう意味なのか。梅蘭芳という名優を描くのならば京劇とは何かを、京劇とは何かを描くのならば京劇を見る観客を描かなければ、見えてこないと思う。
 『レッドクリフ』のように前後篇にし、濃密にした方が梅蘭芳と京劇を深く描き出せたのでは。とにかく、ここまで丁寧で美しい作品なのに残念、と言わざるを得ない作品だった。