不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

荒野はるかに


 イントゥ・ザ・ワイルド鑑賞。監督・脚本・製作、ショーン・ペン。出演、エミール・ハーシュマーシャ・ゲイ・ハーデンウィリアム・ハートハル・ホルブルックキャサリン・キーナーヴィンス・ヴォーンジェナ・マローンクリステン・スチュワート、ブライアン・ディアカー。原作はジョン・クラカワーの『荒野へ』。
 いわゆる「青年は荒野を目指す」物語。だが、自分探しという生ぬるさはない。主人公アレキサンダー・スーパートランプことクリストファー・マッカンドレスは、確固たる自分があるからこそ荒野を目指したのだ。
 何を意識したのか、所々で小賢しい小細工演出をしているのがイラッとしたが、おおむねストイックな演出はよかった。アメリカ各地の美しく、時に荒々しい自然たちを、雄大かつ繊細に映しており、その風景にうっとりする。
 はっきり言えば、青臭い話である。物質文明、資本主義、金、女、欲。そういったものに嫌悪感を示し、禁欲的に、ひたすら自然を体感し、遥かなる大地アラスカを目指す青年。
 大学時代に、「団体旅行なんて、リゾート旅行なんて、旅じゃないね」としたり顔で言う輩が結構いた。そして、バックパッカーとして金を使わず旅をする事を誇りにしていた。俺は何でそれがそんなに偉大なのか、さっぱり理解できなかった。どんなに異国を旅し、金を使わず体験しても、最終的には日本に帰ってくるじゃないか、と。
 クリスは、そんな事はなかった。決して押しつけもしないが、妥協もしない。戻るところをなくし、ただただ荒野を目指す。青臭い考えをろ過し、純粋な理想だけを抱え。その純粋さを、本人の独白ではなく、妹が語るのがよかった。妹はずっと理解者だったが、次第に疑問を持ち始める事で、青年は孤高の存在となっていく。
 その旅自体に疑問もある。文明を放棄し、ストイックに生きようとしているのに、手首に時計、銃で獲物を借り、ヒッチハイクをし、「不思議なバス」の中で過ごす。それらは物質文明じゃないのか? それとも、それらの力を借りなければ、人間は自然の中を生きていけない、という事だろうか。逆にいえば、生きていけないから文明が生まれた、という事じゃないか。
 彼が何を求め、何をするために荒野を目指したのか。荒野で何を得たのか。理解できない。矛盾や不完全さが、若さであり、純粋な理想なのかもしれないが。
 彼は荒野へ行った事で、家族や、人と繋がる(繋がっている)大切さに気づく。しかし、本当にそう悟ったんだろうか。これが「実話」なだけに、そう疑ってしまう。あまりにも完成されすぎている。
 だが、ずっと偽名を使い続けたクリスが、身体と精神の極限に達した最後の瞬間、実名で「幸せだった。みんなに神のご加護を!」と木版に刻んだ事を思うと、彼が何か真理をつかんだのは確かなのだ。
 ばかばかしい感想だけど、クリスとじっくり話をしてみたい。そう思った。
 もしも10代、せめて20代最初だったらもっと胸にくるものがあったのかもしれない。いや、それでも俺は沢木耕太郎藤原新也などを熱心に読まず、旅する事にロマンチックな思いを抱いていない。だからクリスのような純粋な旅や旅人の姿を、どこか遠い風景のように見てしまっているので、やはり共感はできないのかもしれないな。