不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

そばにいること。


 『ぐるりのこと。』鑑賞。監督・原作・脚本・編集、橋口亮輔。出演、木村多江リリー・フランキー倍賞美津子寺島進安藤玉恵八嶋智人寺田農柄本明
 まずは表面的な事から書いてみよう。
 役者陣がたまらん。薄倖という言葉が似合う木村多江の演技は素晴らしいし、倍賞美津子の存在感もいい。柄本明寺田農が同じ画面にいるだけでぞくぞくする。他にも随所でニヤリとするような俳優が登場してくる。ある意味で三谷幸喜映画に勝るとも劣らない布陣。豪華というよりも地味だが。
 そんな中でもリリー・フランキーの存在感は凄かった。演技の素人が、素人であるが故の自然体。大竹まことがラジオで「ああいう演技をされたら、長年演技をしている者にとってはたまったもんじゃない」と発言していた意味が、よくわかった。もともとアクの強いリリー・フランキーというキャラが、次第に佐藤カナオにしか見えなくなってくる。リリー・フランキーにとっても、最初で最後、そして最高の演技だろう。
 そんなニヤリとさせる部分は多々あるものの、描かれているものは重い。見終えて、圧倒され、絶句した。
 ある夫婦の物語である。しかし男と女とか、ひとつの家族の物語という狭い話ではない。他者と共に生きている、生きていく我々の物語だ。
 他者を理解する事は不可能だ。わけがわからない。不安定で、曖昧で、手さぐりにコミュニケーションを取るしかない。絶望的な気持ちになりながらも、愛しい(あるいは憎い)他者を理解するにはどうしたらいいのか。
 そばに立つ事しかできない、存在し続けるだけ。究極的にはそれしかないのかもしれない。
 映画の本質を貫くキーワードはいくつもある。
 法廷。社会の縮図。社会の暗部。暗闇が存在している空間。
 絵描き。法廷画家として社会の暗部を描く夫。自分の好きな美しい自然を描く妻。
 逃げる。現実から逃げる。つらい事実から逃げる。逃げる事に失敗する人々。逃げる、逃げない。
 子供、家族。生まれる子供。失った子供。
 家族。夫婦、親子、兄弟、どこまでも不完全な私達。
 絆。主人公夫婦の絆、家族の絆。法廷で見られる絆の消失。失う絆。再生する絆。
 他者は他者なのだ。理解できない。だけど、この映画では、小さいけど確かな希望があった。
 絶望なんてしなくていい。他人がいるって淋しくて哀しいんだけど、同時にこんなにおもしろくて、楽しくて、光に溢れているんだ。
 泣きそうになったが、感動と衝撃で、それすらできなかった。
 何が凄いって、これらの事が日本という国の約10年間の歩みとリンクして描かれている事である。
 この映画は、まぎれもなく「日本」映画なのだ。それが、たまらなく嬉しい。


 あまりにもどっちらけな感想ですみません。とにかく、最高の作品でした。ぜひ見てください。