不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

スポーツとコミュニティ、そして歪み

 S.J.ローザン『冬そして夜』読了。ビル・スミスとリディア・チンのコンビシリーズ。最初の4冊くらい読んでいて、新刊が出たので久し振りに読み返そうと思ったらなかった。売ったんだっけ。読んだのを買いなおすのもシャクなので、新刊を。
 私立探偵、ビル・スミスのもとに警察署から呼び出しが来た。疎遠の妹の息子で15歳になる甥がお世話になっているというのだ。片田舎の町に住んでいたはずの甥が、なぜニューヨークへ。彼はビルに助けを求めながら、理由は言わず、ついには姿を消してしまう。気になったビルは、妹の一家が住む町ワレンズタウンへ行き調査を始める。そこは、学校のフットボール・チームに入れ込んでおり、その入れ込みようは若干タガが外れているように見えるのだが……。
 文庫で600P弱という長さを見ると、重苦しい印象を受けるが、そんな事はなく、ぐいぐい読み進んだ。登場してくる人物は、いい奴もいるし、殴りたいほど嫌な奴もいる。だけど、極端な人間はいない。いるよな、こんな人って、と思う。会話もキザ過ぎず、名ゼリフを吐くわけでもない。ほどよいバランスで描かれている。主人公コンビのジョーク飛び交う会話がおもしろくて好きだ。
 それにしても、スポーツか。「健全な魂は健全な肉体に宿る」、これは青少年の育成として金科玉条の如く信じられている。完璧な、美しい思想。そんな完璧な思想こそ、またそれを真っ直ぐに信じる人間こそ、歪みがあるものだ。
 さらに、舞台となるワレンズタウンはフットボールに入れ込みすぎている。アメリカに限らず、田舎の町というのはどこか封鎖的で、一つの慣習を頑なに守っている町が結構ある。ある慣習・風習・習わしは、そのコミュニティの為に出来たはず。しかし、いつの間にか慣習の為にコミュニティがあるという逆転現象に陥っていたりする。この場合、フットボールが何よりも優先され、最重要視される。どんな事件よりも。家出より、薬物騒動より、殺人より。それは青少年育成の為のはずが、フットボールの為に青少年を犠牲にするようになっていく。これもまた、紛れもない歪みである。
 この作品は、スポーツとは、町とは、コミュニティとは何なのかを縦軸に置いている。解説によると、あのコロンバインの事件から触発されたそうだ。マイケル・ムーアは『ボウリング・フォー・コロンバイン』で銃規制に着目していたが、実はあの事件はフットボール部員によるいじめ、支配、そして地方コミュニティが関係していたのだ。なるほど、そう見ていくと、あの事件もあの映画もこの小説もまた違った見方ができる。
 その縦軸に少年達の友情、ひとつひとつの家族関係、愛情、憎悪など横軸を絡ませ、静かに、深く、真摯に見つめている。
 そして行き着く「正義」の意味。

「そこが正義の難点だ。正義なんて、ありはしないのさ」

 トリックを推理するミステリではなく、切った張ったのアクションでもない。どちらかというと落ち着いた地味な話で、安易なハッピーエンドではないので爽快感も少ない。むしろ、なかなか苦い読後感だ。だけど、シリーズものの割には身内受けネタはないし、かなり水準の高い完成された物語なので、誰でも楽しめる作品。
 ところでこのコンビシリーズ、いつまで続けるのだろう。個人的にはだらだら続かせるのではなく、ビシッと10冊程度でまとめて欲しいが、ま、次の作品を待ってみよう。

冬そして夜 (創元推理文庫)

冬そして夜 (創元推理文庫)