不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

上からの続き

 結局プロレスかよ、と自分でも思うのだが、この「プロレス脳」というのは、なかなか深い考えじゃないかと思う。
 「プロレス脳」の「プロレス」は、日本のプロレスである。アメリカのプロレスは、ほぼ完全な「虚構」であり、だからこそ巨大なエンターテインメントに化けた。一方、日本のプロレスは表裏一体、虚実ない交ぜの不思議な世界である。ちなみに、「プロレスって八百長」という点は、とうに過ぎた場所だと俺は考えている。
 その「虚実ない交ぜ」というのは、何もプロレスだけでなく、日常のいたるところにある。んなこたーないと思う方々は多いだろうが、たとえば「政治」。「まつりごと」と言われ、フィクションの要素は非常に大きく、虚実ない交ぜの権力闘争である。芸能界だってそうだし、日常生活でも表と裏はある。そういったものの中で、もっとも如何わしいのがプロレスである。
 つまり「プロレス脳」とは、我々が生きていく世界でのフィクション・ノンフィクション(表裏、虚実)を判断、思考していく脳であり、全ての人にあるものではないだろうか。
 そして、ナンシー関はこの「プロレス脳」が発達(?)していたからこそ、テレビ(芸能界)という虚実ない交ぜの世界を適確・冷静に分析し、論ずる事ができたのだ。
 というところまで考えた。続きはいつか。
 そういえば、以前、飯塚高史というレスラーについて書いたけど、今日の試合でトンデモナイ事をしでかしやがった。いや、あれはアリっちゃアリである。しかし、アレをやるのはもう少し時間が経ってからでよかったんじゃないのか。もっと、熟してからじゃないと、ウマくないぞ。そういうのが下手だなぁ飯塚(新日)は。あ〜あ。