不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

「野暮」と「粋」

 噂になっている(なってない?)『平成人』(文春新書)を立ち読んでみる。時間がなくて、目を通しただけだが、何だか違和感ばりばりである。著者と3つしか歳が違わないのだが。
 あるブログで引用されていた「プロレスは『意気』で『粋』だが、格闘技は『野暮』」という記述も発見。その章をちゃんと読んでいないのに言うのもアレなんだが、あえて書くと、そんな風にカテゴライズして言い切る方が「野暮」だと思うけどなぁ。
 プロレスラーで野暮ったい人は沢山いる。しかし、その野暮さが色になる場合もある。野暮から粋になる人もいる。永田さんを見てみろ。メッチャ野暮ったそうだが、試合を見ると粋で、でもやっぱり野暮な人だ。中西みたいにずっと野暮もいるし。本の中では粋の代表で小橋を取り上げているけど、小橋も最初は野暮だったはず。ただ、愚直にプロレスをやり続ける事によって粋になった。
 一方、野暮な格闘技にも、粋な人はいる。人じゃなくても、試合自体も「粋だね」と思う試合はいくらでもある。
 うーん、ちゃんと読んでいないのにズイズイ話を進めても仕方ないか。でも、買いたくはないんだよな、この本。どないしよかしら。