不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

革命家、未だ死なず

 「基本的に反体制だ」と言う若者は多い。かく言う俺もそうだった。体制側だと「寄らば大樹」のようで格好悪く、逆に反体制という響きはとても格好いい。よくロックが好きな人は、体制について悪態をつく。時の総理に文句をいい、選挙では野党に票を入れ、時には投票にすら行かない。それはそれで一つの姿勢のような気がしていたが、ある時「反体制が体制になったらどうするんだ」「反体制だと言い続けるが、それ以上深くは言わない」事に気付く。俺が気付いたのは、ポール・ウェラーの発言からだった。

「誰も彼もが新秩序だってまくしたてるけど、それが本当のところ誰もはっきりわかってないような気がする。無秩序ってのはあんまりポジティブな考え方じゃないよね。無秩序にのっとって国を動かすなんてできないさ。(中略)俺は全国的規模で何かが起こらない限り、根本的には何も変わらないと認識してる」
(『BUZZ』vol.23 2000年11月号)

 当時、SEX PISTOLSが王室にかみつき、既存の価値観破壊を基本理念にしたパンクが全盛だった時代、THE JAMの弱冠18歳の少年が、パンク=反体制の限界を知っていた。
 どこで誰が書いたのか忘れたが、革命は一瞬の出来事であり、革命家にはなりたくないという記事を見た事がある。だからポール・ウェラーは草の根的革命が全国に広がり、建設的に革命を起こす事がもっとも有効だと言っていたのだ。
 事実、歴史上、様々な革命家が生まれ、革命を起こしては消えていった。そんな中、20世紀最後に現われた革命家は、延々と革命をやり続け、革命家であり続けている。その姿は異様であり、神々しい。
 前置きが長くなった。今日、見に行ったのはコマンダンテだ。

 オリバー・ストーンキューバ最高司令官(コマンダンテフィデル・カストロに取材を敢行。インタビューは3日間、30時間に及んだ。取材が行なわれたのは2002年なので「今」として見るにはいささか古いが、どちらかというとカストロの「過去」と「人間」を描いている。キューバ革命チェ・ゲバラとの別離、アメリカ歴代大統領、ソ連の権力者たち……。
 基本的にオリバー・ストーンカストロの一対一のやり取りだ。オリバーの質問は時に穏やかで、時に辛辣で、時に意地悪だ。対してカストロも、時に穏やかに、時に激しく、時にユーモラスに、時にはぐらかし、時にとぼけ、時に聞こえないふりをしながら“答えて”いる。その丁々発止のやり取りはスリリングで興奮する。正直、質問内容より、彼らのコミュニケーションが一番見応えがある。
 カストロは偶像として崇拝されるのを極端に嫌い、自らの提案で、生存する国家的人物の姿を公の場に飾ることを禁じる法律を制定している。だから銅像もない。また同様の理由から自身の伝記執筆も許可しない。そんな「最後の革命家」の生の姿である。それほどキューバについて知識がなくても、興味大だ。
 独裁者と言われているものの、カストロはもう実権は握っていないだろう。キューバはもう「カストロ以後」を見越していると思う。というか、それくらいの事はやっていて当然だろう。
 しかし、それでもカストロのカリスマ性を見ると、「彼がいなくなったらどうなるんだろう」と思わずにはいられない。外に出れば、老若男女、黒人白人、ありとあらゆる人々が歓声を上げる。「フィデルフィデル!」とコールし、頬にキスをされた女性は嬉しくてどこかへ走り去ってしまう。そんなカリスマ、しかも76歳(撮影当時)のジジイは見た事がない!
「運命は信じない」「神は信じない」。カストロ語録は聞いていて小気味いい。何より、生死を賭けて戦い続けている(進行形!)革命家の言葉は重い。
 アメリカ(政府)にとってキューバは喉に刺さった棘。時にカストロは厄介な存在だ。だから、この映画も各国の映画祭では好評を博したが、「不快」であり「批判的」との理由でアメリカ国内では上映禁止になっている。表現の自由があるから暴走しなかったアメリカが、自由を失おうとしている。やれやれ。
 そういったアメリカ政府の対応について、オリバー・ストーンは追加取材を行ない、『Looking for Fidel』という題名で放映されたそうだ。日本でも、ぜひ公開して欲しい。
 映画はインタビューできた事が凄いので、カストロの素顔を暴くなんて事はなかった。しかし、偶像ではない人間、フィデル・カストロは見えた。
 革命家は革命家であり、革命しかできない。だからカストロは革命をし続ける。
 撮影終了間際、オリバー・ストーンを空港まで自ら見送りに行ったカストロ

オリバー「いい人生を」
カストロ「いい人生だ。君に会えた」

 殺し文句を、格好つけずにさらりと言ってのける人たらし。惚れた。