不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

本の読み方

 荒川洋治文芸時評という感想』読了。半年前に買った時は入り込めなかったのだが、先日、再び読み始めたら面白くて入り込んでしまった。読書にもタイミングがある、という事を再確認。
 小説とその周りの文章を丹念に読み込んで、真摯に見つめている。とても“平ら”な視線だった。その見方や斬り方だけでなく言葉の使い方も、こういう表現の仕方もあるのか、と感心し勉強にもなった。

文芸時評という感想

文芸時評という感想

 本繋がりでいえば、立花隆『ぼくの血となり肉となった五〇〇冊そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊』(タイトル長過ぎ)を、読み飛ばす形で読む。
 何故、読み飛ばしたのかというと、ネコビルでのインタビューも読書日記も、取りあげている本の魅力が全く読めない。どうも立花隆は「読書」=「情報の入力」と考えているのではなかろうか。「情報」の良し悪しは伝わるけど、「面白さ」が伝わらないのだ。そういえば、確か谷沢永一だと思ったが、『ぼくはこんな本を読んできた』について、悪書であり「『本をこう読んではいけない』という題にすればよかった」と書いていた。俺は先日読んだ山村修(〈狐〉)の読み方の方が好きだ。
 立花隆は合わないのかなぁと思ったが、思い出せば読んだのは『ぼくはこんな本を読んできた』と『解題「地獄の黙示録」』の2冊だけで、言わば余技の本。この人の本質はまだ読んでいないので、少なくとも『田中角栄研究』と『日本共産党の研究』くらいは読んでから判断しよう。