不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

「思想は言葉だ」

 Aさんはこう言った。
 その人の行動、言動、行き方を左右する(縛る)「ある言葉」こそが「思想」なのだ、と。書物を読み「ある言葉」を得、自分の中から響かせる。それが「思想」。
 「思想」がないと言われる現在は「ある言葉」を得ていないという事だ。では、本を読まなくなったと言われているが、それは「書物」を読まないから「思想」がないのか、「思想」が(必要)ないから「書物」を読まないのか。
 Aさんは、「思想」を響かせる「時代」ではないから「書物」を読まないのだ、と言う。
 何故、読まない「時代」になったんだろう。
 朝日新聞が元旦から短期で「ロスト・ジェネレーション」というタイトルの連載記事を掲載した。25〜35歳の世代らしい。*1
 元々「ロスト・ジェネレーション」(失われた世代)とは、青年期に第一次世界大戦の悲惨な現実を目の当たりにしたことで、従来の価値観に幻滅し、生きる意味を見失った米国の若者世代の事だ。朝日では《90年代の就職難の時期に、正社員になれないまま、不安定な生き方を余儀なくされた若者たちを指す》。
 疑問なのは、何を「ロスト」したというのか。《正社員になれない》事が「ロスト」なのか? ともかく、俺は何も失っていないと思う。というか、「ロスト」するものすら「ない」のが我々の世代じゃないだろうか。
 オウム事件で「神」が、バブルで「金」が、阪神大震災で「自然」が、一連のライブドア騒動で新しいはずの「ネット」が、「信じられる」ものではなくなっていった。それは「ロスト」とも言えるが、そもそも「信じてはいなかった」又は「信じる前だった」ので、「失った」わけではない。「ない」という状態になったのだ。
 「ない」時代には「書物」に書き込むべき「ある言葉」も「ない」。「ある言葉」=「思想」の「ない」「書物」を読むか? そもそも、書き込むべき「ある言葉」の「ない」「書物」を読んだとしても、その「ある言葉」を響かせる世界は「ない」時代である。
 では、「言葉」の力も「ない」のか。いや、「言葉」には力は「ある」はずだ。…………。


 というところで、Aさんとの会話は時間切れ。以下、いつかに続く。
 かなりあやふやな記憶で書いたので間違えがあるかも。あまり突っ込まないでください。鉤括弧だらけになってしまったな。
 この会話の出だしがプロレスだった、なんて誰が信じるだろ。

*1:10歳の差は、かなり大きいと思うのだが。