不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

耳、あげます

 古今東西、名探偵、名刑事は天才であると同時にキチガイさんである事が多いが、喜んでいただきたい、今作はそんな中でもとびっきりの「キ」印さんの登場である。それを共作ではあるがジョニー・トーが撮るのだから、おもしろくないわけがないだろう。
 『MAD探偵 7人の容疑者』を見た。監督、ワイ・カーファイ、ジョニー・トー。出演、ラウ・チンワン、アンディ・オン、ラム・カートン、ケリー・リン。

 主人公バンは刑事だ。彼は加害者/被害者が体験したであろう事を自らも体験する事で、彼/彼女らが何を思い、何をしたのかを推理する事ができる。そうやっていくつもの事件を解決してきたが、定年退職する警察署長にその場で耳を斬り落としてプレゼントする、かなりマッドなお方である。
 もうひとつ、バンは他人の「内面」「人格」を見る事ができるのだが、この「人格」が、本当に一人の人間として見えてしまうから、さあ大変。誰が実際の人物で、誰が人格なのやら、はっきりしない。そういった事が重なり、バンは警察を辞めてしまう……。
 と、まぁここまで読んでいただいただけでも、なかなかマッドネスな映画である事はお分かりいただけたであろう。
 バンは退職し、妻(というかなんちゅうか)とひっそり暮らしていたが、そこに彼を尊敬する若手刑事が事件の相談をしに来る。その事件は、香港で実際に起きた警官同士の拳銃強奪事件がベースになっているそうで、事件自体は変わったところはなく、地味なものと言える。だが、事件が地味だからこそ、マッドっぷりがますます映える。
 変人と、それに振り回される若手と、犯人という図式で、こういう場合は犯人もなかなかのマッドさんである事が多い。バン曰く「容疑者には7人も人格がいる! こんな複雑なヤツは初めてだぜ!」だそうだが、しかし別に多重人格というわけではなく、ちょっと人より複雑な性格をしているだけ。むしろ、この容疑者は普通の人間で、バンの奇行の方が半端なくて、おかしい。
 正直言って、この映画が何を描いているのかはよくわからない。人間の人格についてにしても投げっぱなしだし、原題は「神探」らしいが神はほとんど関係ないし。まぁそこは香港映画らしく、プロットだけあって、あとはその場の思いつきで撮っていったのかもしれない。あまり深く考えない方がいいかも。
 よく映画の批判で「説明しすぎる」「説明的すぎる」といった事を言う人がいて、俺もそうなんだけど、ならば説明がなさすぎれば不消化で終わる事もままある。しかし、そもそも映画においての「説明」とは何なのかはうまく説明できないのだが、とりあえずジョニー・トーの映画を見せれば、「映像で全てを語る」とはどういう事か、よくわかると思う。今作でも、冒頭の10分でバンがいかに優秀であるかと同時にいかに頭がおかしいのか、次の10分でどんな風におかしいのかを映像でスパッと説明してしまう手腕には、もう舌を巻くしかない。
 そして、バンだけが見える人格を、どう動かし、どう見せるのか、シュールとスタイリッシュをない交ぜにした演出は、映像にしかできない表現でおもしろい事この上ない。中でも、鏡に囲まれた部屋でのクライマックスは、すばらしくて息を飲む。実際にそこいるのは3人ながら、人格を入れれば10人近い「人」がひしめき合い、華麗な銃撃戦が始まる。こういうのを映像表現というのだろう。
 荒っぽく雑だし、音声が妙にアフレコっぽくて違和感が拭えなかったりと、あまり質がいいとは言えない作品だが、内容はこれまでにない狂い咲きっぷりだし、ジョニー・トーの映画によくある食事シーンもあれば、相変わらずちょっとしか登場しないのに存在感たっぷりで「女って強いなぁ」と思わせる女性たちもいる。ワイ・カーファイはよく知らないのもあって、共作なのにトーの事ばかりを書いてしまい申し訳ないが、やはり「ジョニー・トーの映画だ」と言える怪作だった。ほんとにMAD。