不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

年末年始に読んだ人物ノンフィクション

 小佐野景浩『至高の三冠王者 三沢光晴』(ワニブックス。三沢の一生を描いた評伝ではなく、1998年5月1日の全日本初のドーム大会の対川田利明戦までしかなく、それはタイトルにある通り三冠王者としての三沢光晴の姿と四天王プロレスを描こうとしたわけであって内容としては『夜の虹をかける』に近い。そこまでに期間を限定した著者の考えはわからんではないのだが、ここまで取材して細かく分析しているのなら、川田戦以降もちゃんと描いてほしかったし、描くべきではなかっただろうか。いきなり批判めいた事を書いてしまったけど、本の内容はおもしろかった、結構知らないエピソードもあったし、何より当事者たちの言葉がいい。三沢に関する本を読むと、いまなお「三沢、死んじゃったのか……」と思ってしまう。末尾にある、ベルトを肩にした笑顔の写真が最高。三沢光晴がリングで死んだ次の日に、シネマライズの最後列で『レスラー』を見て号泣していたのは私です。


 柳沢高志『孤独の宰相 菅義偉とは何者だったのか』(文藝春秋。出てくるエピソードはそれなりにおもしろいんだけど強烈な話はなく、つまりオフレコ話以上でも以下でもなく「この真相を表に出すんだ」という決意めいたものが特にあったわけでもないし、本書によって著者は菅のところを出禁になったそうだが、それはあまり割に合わなかったのではなかろうかと余計な事を思った。

 鈴木忠平『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋。評判いいので読んでみたが、これは抜群におもしろい! 対象となる落合博満がおもしろいのもあるけど、著者がおそらく悩みに悩み、考えに考えた末の文体と構成が絶妙。未熟だったが故の己の葛藤と、落合との緊張感しかない距離とやり取りが読ませる。野球も取材も本来はギリギリの攻防であり、馴れ合いではいいものは生まれない。ノンフィクションで対象に肉薄するとは、距離の短さでも言葉の数でもないのだとよくわかる一冊。ぽつりと言う一言の重さよ。たぶん「落合博満はこんなやつではない」という別の記者からの反論もありそうだけど、著者としては「落合とは何者か」を追い求めてはいないので、人それぞれありますねで終わりそう。

舌でさわって

 抜歯の経過チェックのために歯科医へ行く、経過はおおむね良好だそうな。ついでに歯石のクリーニングをする事になったのだが、なにせ二十年ぶりなのでなかなかの溜まりっぷりらしい。超音波で削っていくそうで、ゴリゴリやっていき、最後に本丸の下の前歯の裏側へ。「レベルを上げます」と言ってキュイーーーーーーンという音がより高くなったのだが、どうやら手こずったらしく、「超音波じゃ壊れないですね。もう直に行くしかない」とナイフみたいなもので削り出した、なんだか防御力の高い敵と戦っているみたいだ。無事に終わって、舌で歯の裏を舐めてみたら感覚が違う、特に前歯裏は逆に頼りなくなった感すらある、これでいいのだろうが。歯磨きのやり方を少し教わったら全て終了、数ヶ月後に検診となった。次に来るのはまた二十年後でもよかった気がするが、まぁ歳を食ったので定期検診くらいは受けておく事に。今日一日、ずっと舌で歯の裏に触れ続けていた。

メガネがなくて目がねえ

 会社に来た上司の顔に違和感を覚えて、なんだろうかと一瞬考えて、メガネをしていない事に気づく。いつも縁なしメガネなのでわりと目立たず、外している時もあるので気づくのに遅れた。どうしたんですかと聞いたら、忘れたと一言。メガネを忘れるものかねぇと周りの人間が言っていたが、私も忘れてしまった事があるので何も言わず。細かい文字を見る事はできなくとも、ぶらぶら歩くくらいは問題ない、歩き慣れた通勤路だったらなおのこと。さすがにパソコン作業には支障が出たが。コンタクトレンズにしてみようかと考えた事もあったが、いまだに目に異物を入れるのが怖い。レーシックも当然怖いが、レーシック手術をしてメガネから解放された姉を見ているといいなと思う事もある。視界が広がる事だろう、顔の特徴の一つがなくなるがどうせメガネしていましたっけと言われているので変わらない。

一月一〇日、オープン・クローズ

 今日も昼過ぎに誰もいない会社に行って、夕方頃に誰もいない会社から帰った。会社で唯一二日連続で休日出勤した事は脱力せざるを得ないのだが、意外と気分がよかったりもするのはバイトのころからオープンとクローズの作業と空気が好きだからかもしれない。前にも書いた、いつもは人がいる場所の誰もいない時間と空間が好きなのだ、世界の終わりの後が見たい、そんな願望。夕飯は家で鶏白湯鍋、新しい鍋ツユだがこれがヒット、うましうまし。今日は成人の日だった、成人式には行っていない、そんな自分の思い出はさておき、大人になるのも悪くないですよ。


www.youtube.com

一月九日、鎌倉殿

 昼過ぎに会社に行く、誰もいない。自宅でも仕事は進められたのだがPCが不調な事、どうせ昼飯で外に出るつもりだった事、他にもちょっと用があった事などから行った方が早いなと判断した。途中、上司と短時間立ち寄った以外は誰もいなくて、鼻歌混じりに作業を進める、ガランとした空気は少し怖いが快適、自分だけの仕事場に思える。夕方過ぎまで作業を進めて今日は退社、また明日も来る予定。夕飯を喰ってから、『鎌倉殿の13人』を見る。『真田丸』がよかっただけに期待していたのだが、裏切らぬおもしろさ、第一回としては百点満点だったのではないか。また「ダーウィンが来た」末尾から一時間取られる一年間が始まりそうだ。

一月八日、猫、蜘蛛

 白猫の検査日だが虎猫もちょっと気になる仕草をしているので、ついでだからと二人で二匹を病院に連れて行く。道中から院内まで二匹してずっと抗議の声を出していて、うるさいが元気そうなのでちょっと安心する、最初に連れてきた時は声も出さなかったのだから。一昨日昨日が雪のせいで人が少なかったのだろう、結構待った、そのあいだに抜け出して昼飯を喰らう。結局午前の診療最後だった、白猫は経過良好、虎猫は要観察。家に連れて帰り、一休みしてから再び外出、映画館へ。

 スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』。もうMCUは追いかけなくてもいいかなと思いつつも、「スパイダーマン」は全部見ているので見届ける気持ちで。予告からこんな感じの話になるのかなと予想した通りで、その展開自体はまあまあ楽しんだけれど、強引というか無理やり無理筋なケジメの付け方はどうかと思ったし、そもそも前作も今作も彼の浅慮によって引き起こしてしまったわけなので、ちょっとノリきれないとこも結構あった。こういう手法は本当にいいのかなという疑義も。手練手管は巧妙だし、ファンサービスの満漢全席でこれぞエンターテイメントとも言えるが、こういう展開なら以降は私はやはりもういいかなとも正直思った。私は過去に置いていけ、ここで化石となる、そんな気分。いや、決して悪い映画ではない、おもしろかったと言える、だけど私はノレなかった、それだけだ。

こっちを日常に

 正月明け一週目が終わった、休みボケがありそうなところ、抜歯と健康診断と積雪という連休以上の非日常三連発があったせいか、気づいた時にはいつも通りの日常へと戻っており、休みの煽りを受けていきなり忙しかったのにも対応できた。よかったなと思ったけれど、やっぱり休みが日常、仕事が非日常になってくれないものかという願いは捨てきれない。この週末連休も一日は会社に行く予定。