不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

頑張った俺にエールを送ってくれてもいいんですよ

 一年に何回かある、朝から頭も身体もフル回転でゴーの一日だった。順調に事を運べて、予定よりも早く仕上げる事に成功。問題は結構頑張った事を誰も評価してくれない事である、うーん、孤独。もう少し周りにアピールした方がいいのだろうか、何でもかんでも宣伝と広告の世の中である、広まったもん勝ち、PR資本主義、話が大きくなってきたのは疲れているからです、もう寝てしまおう。

チキンスキン、チキンハート

 鳥肌ができやすい、わりとすぐに鳥肌が立つ、とまで書いてからふと思ったが他の人がどれくらいの感度と頻度で鳥肌ができるのか知らなかった。唯一比べられるのはカミさんで、そのカミさんに「できやすいね」と言われたからそうなのかと思ったのだが、もしかしたらカミさんの方ができにくいだけかもしれない。自分だけなのかこの感覚は、という事は結構ある。カミさんは一時期冷たいものを飲むと背中が痛くなると言っていて、医者にまで行ったが「そんな症状はない」と一蹴された。尾籠な話だが、個室トイレでの振る舞いなんかは自分以外のものは誰も知らないだろう。俺は時々、俺が見ている赤色は他人が見ている赤色と本当に同じ赤なのかと思う時がある、思うだけでそれ以上は特にないのだが、というかこれ以上考えていくと『マトリックス』みたいになってしまいそう、そうやって思考を重ねていった方がいいのかもしれないけれどそこまで行くのもちょっと怖い。

エコエゴヘコヘコ

 一人暮らしをしていた時で、たしか二〇一〇年か二〇一一年だったはず、一つエコバッグを買った。ファミリーマートだったと記憶している。それほど大きくもなく、ビニール製のいたってシンプルなものだ。地球環境に気を使ったわけではなく、たしか姉か誰かが持っているのを見て、俺も一つくらい会社用鞄に入れて持ち歩いていれば便利だろうと思ったのだ。実際たまに使う機会があった。とはいえ、たまになのでいくら安っぽい袋であっても破れたり壊れたりするよりも、どこかへいってしまったりうっかり捨ててしまったりする形で手元からなくなるのだろうと予想していた。とりあえず今日まではなくならず同じエコバッグを持ち歩いているのだが、このほどのレジ袋有料化で活躍の機会が増えた、これはなくすよりもどこかで破れる方が早そうだ。いまだにレジ袋有料化の意味がわからない、コンビニやカフェでストローを廃止した代わりにアイス用のプラスチック蓋ができていて、それはいいのかと思った。理屈があるのだろう、きっと、そうであってくれ。

七月五日、十六年

 タコとキャベツのペペロンチーノを食べてから投票所へ行き、一票を投じる。最近は毎回誰にすっかなと直前まで迷う。そのままバスで駅まで出て、会社へ行くも作業量が少なくて、二時間くらいで終えてしまったので、とっとと帰ってしまう。カミさんが家で仕事しているはずだったので、古本屋を何軒か回ったあと、フレッシュネスバーガークランベリー&レモンソーダを飲みながら読書。一人でこういう時間はいつ以来だろう、店は空いていた。一時間ほどで退店し、帰宅。

 夕飯(豚バラブロックカレー)を喰って洗い物をしたら20時近かったので久し振りにテレビをつけたら、モニターにできていた白いモヤが広がっていてほとんど覆うくらいになっていた、給付金でNetflixなどを見られるテレビを買うか。見たのは選挙速報で、まぁ予想通りだが、結果よりも誰が何票だとか、どの世代が誰を支持したとか、投票データが気になったわけだがそれは現時点では出口調査によるもので、はっきりしたデータが出るのは明日以降だろうから、15分くらいでテレビは消す。SNSを見たら、なんか呪詛のような言葉が飛び交っていた。アイスラテを飲みながら、マイケル・ムーア『華氏119』を見る。Netflixで昨日見ていたのだが終わらず、今日に続いた。言いたい事はわかるがそれが先にありすぎるせいか映画としてはいささかチグハグな印象。さて、今年の大統領選はどうなるやら、どちらでも大変なのに変わりはなさそうだけど結局は他国の事でまずは自国の事をやらねば。

 いま日記を書いているiPadの横に、小さな花瓶に花が生けてある。今日は母の命日で(十六年だ)、毎年カミさんがささやかな花を用意してくれる。俺は死者に花を手向けるとか、写真を飾るとか、そういう事を全然しない。位牌は本棚に置いてあるけど、位牌という物体としか見ない。かといって死者を思わないわけではない。何かの折に思い出す、書いたものを読み直す事もたまにある、それが俺なりの追悼で死者への思いなのだと信じているけれど、こうしてカミさんが目に見える花を用意してくれて、それを眺めたりしていると、こういう形の追悼の良さというものにも気付く。《部屋を飾ろう コーヒーを飲もう 花を飾ってくれよ いつもの部屋に》という歌を思い出す、悲しみからずいぶん遠くに来た、果てかもしれない、何があるかはまだ知らない、《ただあなたの顔が浮かんで消えるだろう》。

七月四日、焼け野原

 仕事がないわけではないが絶対に行かないといけないほどではなく、こういう時にどちらを選ぶかというと行く方を選んでしまう。カミさんも仕事の作業があるというので会社に行けば邪魔にならないし仕事もできるし一石二鳥、と言い訳まで作って。休み下手なのだろうか。ちびちびと作業を進めて、誰もいなくなったので適当なタイミングで帰る。俺は何をしているんだろうと時折、だけど強く思う時がある、いまだにモラトリアムなのかと自分にぐったりしながらだけど。

 家でネットを見ていたら、Bunkamuraシアター・コクーンの芸術監督となった松尾スズキが、アクリル演劇祭を始めるにあたって書いたらしい一文が流れてきた。何気なく読み始めたら、これがけだし名文で、何度か繰り返し読みふけた。

【シアターコクーン芸術監督 松尾スズキ「コロナの荒野を前にして」】

 大人計画及び松尾スズキの舞台を生で見たのは一度だけで、映像でも数作見ただけだ(演出では『キャバレー』を見た)。正直言うと、劇作はそれほど好みのものではない。でも俺は松尾スズキのエッセイやコラム、そしてその文章が好きで、不意に、さらりと、核心をついてきて、俺はその言葉を座右の銘のように胸に刻んでいる。全文読んでいただきたいが、ここにも刻んておきたくて、少しだけ引用。

しょせん暇つぶし。しかし、人は命がけで暇をつぶしているのだ。

かつて私が『TAROの塔』というNHKドラマで演じた岡本太郎は、終戦後焼け野原になった東京でスキップしながらシャンソンを歌った。フランス語なので覚えるのが大変だったが、 非常にバカバカしくて、そして、涙が出るほど美しいシーンだった。初めて主演したそのドラマは、放送第二回目を前にして3.11の大地震が起き、ニュースで放送時間がズタズタになった。必死で覚えた長台詞を喋る私の顔の上に容赦なく津波の被害のテロップが流れる。もちろん、地震のニュースに比べれば、ドラマなんてなくてもいい。

実に自分らしい初主演だった。

しかし、私はあのときの太郎さんのように、焼け野原を前にしてシャンソンを歌おうと思っている。喉元にはもう、その歌は溢れかえっている。

〆を追加するのなら〆の〆が必要か

 ジンギスカンを喰いに行った、四人で、こう書く事にちょっと躊躇するようになってしまったが、まぁそれはいい。しゃぶしゃぶ鍋を改造して上に鉄板、下に鍋という構造のもので鉄板で羊を焼けば油が下に落ちて、下でラムシャブをすればダシがとれて、つまりはスープが出来上がって〆のラーメンがたいそううまくなる。二人前頼んだがあまりのうまさでぺろっと食べて、相談したらまだまだいけるというから三人前追加し、〆を四人で五人前食べるという暴挙に出る、うまかった。正直これだけ食べたいくらいだが、油やダシがないと意味がない。肉を食べれば食べるほどいいスープができるわけだが、食べれば食べるほど〆の量は少なくなる。これが噂のヤマアラシのジレンマというやつか、違う、単なる食いしん坊のわがままだ。個人的にはまだ入りそうだったがさすがにこれ以上の追加はやめておいた。

七月二日、調べもの

 調べものがあって会社近所の図書館に行く。地元の図書館は体温測定はしていなかったがここではしていて、汗だらだらなのだが大丈夫かと思ったがクリア、入ってから連絡先まで書く念の入れようで、いやこれくらいした方がいいのかもなと思った。二つ調べる事があって一つはわかったが、もう一つはわからなくて、さてどうしたものか、資料としては今日欲しい、某所に聞いたらその資料をもらえるかもと、図書館を出てから電話をしてみたら快諾もらったのでそのまま向かう。こういう調べ物や資料探しは好きだ。面倒くさがりに見られるけれど、フットワークは軽めだし面倒な作業も嫌いではない。個別に好き嫌いが結構あるだけだ。資料を受け取ってから会社に戻る時はちょうど昼飯時で食事処は人がわんさかいたのだがみんなマスクをつけていて、俺はつけたり外したりを頻繁にしているのだが意外とつけっぱなしの人の方が多い。人の少ないカレー屋で食ってから会社に戻ってPCでネットを見たら、東京都の感染者が百人を超えたという速報があった。そして会社の全体メールが送られてきて、できるだけ在宅勤務、満員電車などは避けろ、密を避けろと書かれていた。緊急事態宣言前も緊急事態宣言中も緊急事態宣言後も勤務体制が変化がそれほどなかったので、たぶんこの後も変化はなさそう。いつかここから感染者が出たらどうするのだろう、どうしようもない、俺の知った事ではない、気をつけるけど。そう思っていたら、アメリカでの感染者が一日五万人というニュースを見た、文字通りの桁違い、どうなっているんだ。朝から晩までギチギチに仕事が入ってクタクタで帰宅。うまい食事と食後のコーヒーと、猫と、風呂と、カミさんと、寝る前の音楽や本のひと時だけが癒し、結構多いな。