不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

最近読んだ小説二冊

 岸政彦『図書室』(新潮社)を読んだ、表題作は悪くないがイマイチ乗れなかった、中年の女性が今といろいろな自身の昔を語るのだが中心になっているのが小学生の頃の図書室での話で、俺が子供の話が苦手だから乗れなかったのかもしれない。といっても今作は過去を語る形なので拒否してしまうほどではなかった、中学・高校生くらいならまだ大丈夫なのだが、それ未満の年齢の話だと結構読めない、小説ではなく自伝や評伝でもいつの誰であってもその時期の記述は興味が持てないのだ、いつも退屈になる、そこにその人のポイントや原体験があるとしても。振り返ってみると子供の話が苦手なのは自分も子供の頃からで、たとえば気に入った絵本では『すてきな三にんぐみ』は三人組が大人だ、『かいじゅうたちのいるところ』は怪獣が主役、『ドリトル先生』は言わずもがな、別に子供嫌いではない。大人が一切出てこない『ピーナッツ』を愛しているが、あの漫画は果たして「子供」を描いているのだろうか、いや子供は子供なのだが。

 話を本に戻すと、併録されている書き下ろし半自伝エッセイの「給水塔」がすばらしくて、中でも名前を忘れてしまった変わり者の親友の話がよくて、これはエッセイではなく小説だなと思った、では私小説なのかというと書いているのは「私」ではなくその先(前)にいる(いた)彼らの話だから私小説ではない気がする、しかしそれでも小説だと思った。著者の前作『ビニール傘』の感想で《小説家以前の者だけが書ける、最初で最後の、小説ではない(ノン)フィクション》と、武田徹の『日本ノンフィクション史』の感想と繋げる形で書いているのだが、その後彼が書いたフィクションとなるわけだが、俺が引かれたのはノンフィクションの方である「給水塔」だったわけで、そしてそちらを小説(フィクション)と思った。

図書室

図書室

 上田岳弘『キュー』(新潮社)。時空間を飛び越えていく著者の現時点の集大成だなと思いながら読んでいき、読み終えてもそう思ったけれど、正直終盤はよくわからなくなってしまった。何がどうでどうなったんだ? 単に俺がちゃんと読めてないってだけか。集大成ではあるんだけど、著者の書いた、地に足着いた、という表現が合っているかはわからないが、地味な話も読んでみたい。そのうち。

キュー

キュー