不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

長短

 イヤホンはBluetooth、どうしたって無線は有線よりも音が悪くなる。そしてSpotifyのような配信もCDに比べれば音質が悪い。本当に好きなものはCDを買うべきなのだろう。どうせ悪いんだからと無線イヤホンではSpotifyでダウンロードしたものを聞いている。たまに有線イヤフォンに切り替えると音の迫力が違っていて、驚く。有線と同じくらいよいBluetoothイヤホンはあるのだろうか、あっても高そうだが。先日、Spotifyなどサブスクリプションの影響で、一曲の時間が短くなっていると話を知った。比較も何もしていないし、最近の楽曲以外も聞いているから、いまいちピンと来ないし、「サブスクリプションだと曲が短くなる」のは何故なのかよくわからない。長いと次々に飛ばしてしまうという事だろうか、長くても短くてもピンと来なければ飛ばすだけだと思うのだが。とはいえ、音楽に限らず、さまざまなものが短くなっている気はする。顕著なのがTwitterで、政治や社会や思考を140字で語れるものなんてなくて、あれはあくまで呟きや独り言だ、いくら連投したって呟きの連続でしかない。ちゃんと伝えたい事があるならどこかのブログのアカウントをとって、ちゃんと書くべきだといつも思う。長い文章を書ける人が少なくなっているのかもしれないが。政治的社会的な話題も、人気になったコンテンツも、人が集まったサービスも、あっという間に忘れ去られる、消費されてしまうと言えばいいのか。そういった風潮の中で、何故だか俺の文章は最近長くなっており、これは短くなっている消費社会への抵抗でありアンチテーゼ、というわけでは全くなく、単にだらっと書くのがいまのモードという手前勝手な話なだけです。

 そうこうしているうちに、今月の作業が終わった、徹夜なしどころか打ち上げができる時間に終わった、快挙である、やればできる、今後もこのようにしていただきたい。早く終わろうが終わるまいが疲れたのには変わりなし、作業量は通常通りだし、確かに二週間連勤ではあったものの、それほどではないと思うのに疲れ切っている。半年くらいずっと疲れている、身体も精神も。余談のように生きていきたい、余生を過ごしたい。気持ちのしんどさが文章を長くさせているのではないか。そのうち短文を書く気分になれればいいと思っている、とこうやって公に書いてしまうとあっさり、すぐに短い文章を書くようになっていったりするものだが。