不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

芥川賞の小説を読んだ

 どの本も「芥川賞受賞(候補)作だから」読んだのではなく、単純に読みたかった本、作家だったので読んだだけです。発表と発売の関係でこの時期に重なった。
 上田岳弘『ニムロッド』(講談社。時空間を飛び越えるこれまでの作品とは違って地に足ついているのだが、時空間を飛び越えるネット、国家間を飛び越える仮想通貨、そして何も飛び越えられない駄目飛行機を扱い……それらを作り出した人間たちの行き着く先を描く挑戦作、あくまでもいま現在の小説で、それを著者も自覚してなのか、登場人物が持っているiPhoneの種類を逐一書いたり、Wikipediaの存在をきっちり書いたりしている。仮想通貨を扱った小説というか、仮想通貨を言葉(日本語)にはめ込んだというか、仮想通貨を小説の形式にしたというか……わかったようなわからんような……いや、正確に言うとわからんのは仮想通貨と小説との関係であって、それ以外の小説の構造はいたってわかりやすい。人類の叡智の結集とも言えるネットと仮想通貨と何にも役に立たない駄目飛行機とこれから積み上げる自前の仮想通貨を対比して、仮想通貨の埋蔵量であれ生まれる子供の事であれ行き着く先がある程度見えてしまった結果、人間が抱える屈託や焦燥を描いていて、そこかしこに意味が散りばめられているような小説ではある。この著者ならもう少しアクロバットになってもよかったように思う。わかりにくいけどわかりやすい変な小説で、何でこの作品で芥川賞あげたのか、別に前の作品でもよかったのではと少し不思議だが、まぁ芥川賞っていつもそんな感じではあるか。

第160回芥川賞受賞 ニムロッド

第160回芥川賞受賞 ニムロッド

 町屋良平『1R1分34秒』(新潮社)。前作『しき』にもあった心身のリンクと遮断、意識の流れと変化を、フィジカルとメンタルの境目が混濁するボクシングを扱い、弱いボクサー、なりたてトレーナー、iPhoneでひたすら撮影する友人の三者の自意識をボクサー目線から描いており、これはうまい。心身の変化の物語であり、同時に《私たちは、この「勝利」を、単に一時的、暫定的なものと読もうとする。敗北だけが永遠なのだ》 《人生は、多くの不安定な点で、ボクシングに似ている。だが、ボクシングは、ボクシングにしか似ていない》というジョイス・キャロル・オーツ『オン・ボクシング』を思い出した。『オン・ボクシング』は持っているはずだが、どこかに行ってしまって見つからないので、引用はネットからの孫引き。
第160回芥川賞受賞 1R1分34秒

第160回芥川賞受賞 1R1分34秒

 高山羽根子『居た場所』(河出書房新社。表題作が芥川賞候補作なのだが、読み始めて40ページくらいにあった「(彼女と)籍を入れる前」云々という一文まで、語り手である「私」をずっと女性だと思っていたので、ここで男性だったのかと驚いた。「籍を入れる」だけなら女性同士の可能性だってなくはないのだが、しかし最後まで読み通しても、俺が読み飛ばしていなければ、父・母・妹・彼女と他の人の性がはっきりわかるのに対し、「私」が男/女である確固とした描写はなかったように思う。その前に、「私」と彼女、小翠が「籍を入れる」ような関係になった経緯もなかったはずだ。だから余計混乱したのかもしれない。この小説は場所と記憶と存在の物語であり、別段、性についてどうこうするものではないはずなのだが、その点がずっと引っかかったままだったので、読んだような、ちゃんと読めていないような、変な読後感になってしまった。そのうち読み直したい。他二篇収録されていて、そのうちの「蝦蟇雨」が短いのに印象に残っている。
居た場所

居た場所