不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

radio

 ところでイヤホンの話になるのだが、しかしはっきりしておきたいのはイヤホンなのかイヤフォンなのか、である。ここはまず英語を見ようと改めて調べてみたらEarphonesと出てきて、いきなり複数形になっとるやないか、ズはどこいったんだよと言いたくなった。sの事は見なかった事にして、phoneである。smartphoneはスマートフォンになるけれど略称はスマホになる、スマフォでもいいのに何故ホなのだ。スマフォだとイメージフォーラムの略称イメフォと見間違えるからか、間違えないですね、はい。だからといってiPhoneはアイフォンであり、アイホンとは誰も書かない。アイホンはインターホン会社の名前として存在し、我が家のインターホンもアイホンだ。インターホンもインターフォンという言い方があるけれど、アイホンはHPでインターホンと書いていて一貫している。だからiPhoneアイホンでは絶対にないのだが、アイフォンではiPhoneと変換されず、アイフォーンと書いて初めてiPhoneと変換される事は前にも書いた。片仮名の面倒くささよ。

 表記ゆれといえばRadioで、もちろんほとんどラジオと書かれているし、radikoもラジコと呼ばれている。しかしご存知のようにRadioheadレディオヘッドと書かれる、ラジオヘッドと書いている雑誌もあったように記憶しているし、著名人なら村上春樹はラジオヘッドと書いていた。だが、昨年からやっている村上春樹のラジオ番組は「村上RADIO」でこれは「レディオ」と読んでいると聞いた、番組を聞いていないから又聞きだが。ラジオからレディオへの移行期があったのか、そういえば『海辺のカフカ』に出てきたなと久し振りに本棚から文庫本を抜いて調べてみたら、下巻第39章にあってそこには《レイディオヘッド》と書かれていた、第三の刺客登場である。英語の発音としてはこれが一番正しいのだろうか。

 当時の『海辺のカフカ』の書評の批判的なものの中で、「15歳の中学生がレイディオヘッドやプリンスなんか聞くかよ」といった記述があった、どこで誰が書いたかは忘れた、たしかあったはず。それを読んで、「いや、いるかもしれないだろ」と思った。何故いないとこの人が確信できるのかがわからなかった、そして「そんな少年はいない」と思える少年を書く事が何故駄目なのかがわからなかった。書いてもいいではないか。小説とはそういうものではないのか。そう言いつつ、俺は『海辺のカフカ』はホシノくんパートが好きで、あとは嫌いなのだが。ホシノくんのところだけ、読み返したい。ホシノくんに村上春樹の未来があると思っていた。

「諸君、焚き木の時間だ」、彼は明けかけた東の空を見上げながら言った。