不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

スター・ウォーズ/最後のジェダイ―終わりから歴史は始まる


 ある星の白い地表をえぐった下の土が赤く、何故かわざわざ一人にそれを舐めさせて「塩だ」と言わせてから、白を赤く染めていく、ピークではないが明らかな物語のクライマックスがすばらしい。それにしても、前作で駄々っ子中二病だったカイロ・レンは、今作でついにガキ大将になれたのかと思っていたが、やっぱりお釈迦様の掌の上で踊っていたわけで、そりゃ友達の一人も欲しいと思ってしまうだろうなー、とどこか微笑ましく見てしまった。相変わらずフォースはふわっとした定義だな。
 『ローグ・ワン』が選ばれなかった/選べなかった者たちの激闘だとするなら、本作は選ばれた/選べた者たちの苦闘のように見えるけれど、しかしそれは実は結果論であり、誰もが自由と不自由の狭間での戦いを強いられている事を描いている。敗北であれ死であれ、歴史とは去っていった者たちが築き上げたものであり、受け取ったバトンをどう捌いて繋いでいくのかが生きている者の使命である。それは壮大な物語としても、長年続いている作品としても、同様である。本作で二つの意味で父殺しを果たした事で解放/更新されたのだが、ためファンほど賛否が分かれていくのも当然ではあろう。「幻想にとらわれるな!」「全てが間違っている」という言葉が本作の全てを語っていたとするなら、次作では幻想の先へ行くはずだが。
 ところで 本作のルークもそうだし、『ブレードランナー2049』のデッカードに対して、「こんな人物じゃない!」「カリスマ性を感じられない」という意見をいくつか目にしたけど、それはキャラクターではなく、間違うし苦悩もする「そこにいる人」として描いたからだと思うし、俺はそれを肯定したい。「幻想にとらわれるな」である。