不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

Spotify始めてます

 少し前にSpotifyなんかやらないよという文章を書いたんだけど、実は今月初めからやり始めている。理由はいくつかあって、まずTwitterで相互フォローしている人が激烈にお勧めしていて、どんなサービスなのかを実体験として詳しく話を聞けた事(良さも悪さも、よくわかった)。そして参考にしている音楽ジャーナリストや評論家が「いま世界の音楽シーンを見るなら、Spotifyをやらねばならない」と言っていて、まぁ俺は別に音楽シーンの動向を敏感にチェックしたいわけではないんだけど、まだ知らぬ音楽に出合いたいのは確かな事。何より、11月末からのデスマーチで映画に行く時間も本を読む時間もなく、せめて音楽くらいは聞きたいと思っているところに「いまなら三ヵ月100円キャンペーン」開催中だったのが決め手だった。
 初めて数週間、これは確かにすごい。新譜はもちろんの事、過去に「聞いてみたい」と思った音源がほとんどある。これまでに発表されている各雑誌各サイト各人の「××年のベスト」を見直したり、ミュージシャンのオススメをチェックし直したりして、未聴のものを次々保存した。あれもあるこれもある。楽しい。音楽の幅が一段どころか数段広がった気分。上に載せた8ottoはこれで聞いて、よくて驚いた。
 といったように楽しんでいるんだけど、一方でこれを全部聞けるのだろうか、聞くにしてもちゃんと一枚一枚を聞き込めるのだろうか、と心配にもなった。これはiPodを初めて手にした時にも感じた不安である。そして、その後一枚一枚への熱量はどうしたって下がってしまった(それでも夢中になる音源は存在はしているけれど)。量は増えたし、楽しいし、便利なんだけど、何故か食傷気味になってしまう(ちなみにNetflixでもそう)。以前書いた記事にあるように、「そんなには聞けない」ので、「ほどほどでいいんだよな」と思ってしまう自分も確かにいるのだ。
 とりあえず三ヵ月は続けるし、たぶんその後も継続すると思うんだけど、これにハマるかと言うと、それはないような気がする。ずっとどこかで、違和感というか不安というか怖さというか、そういった異物感を覚え続けるのでは。
 気になるものはSpotifyでチェックして、気に入ったものは今後もCDで買っていくようになると思う。何故わざわざ買うかを言葉にするのは難しいんだけど。これは古い感覚なのかもしれない。そのうち変わるかもしれない。変わらないかもしれない。なるようにしかならない。だったら、それでいいや。変な結論だけど。