不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

女神の見えざる手/高く孤独な道を行く


 ロビイストの話という以外の情報を得ずに(予告も見なかった)見たのもあって、「えらいもん見たで」という驚きと興奮は今年一。序盤のソクラテスプラトンのくだりの真相を知っている人ならば仕掛けに気付きそうだが、幸か不幸か(というか単なる勉強不足)で私は全く気付かなかったので、新鮮な驚きを得る事ができた。シネフィルに比べれば微々たるものではあるけれど、一般の方よりからはそこそこの数の映画を見ているつもりだが、現代劇においてこれほど鋼の精神を持った、「怪物」と表現するしかない人物を見たのは初めてではなかろうか。
 目的のために使えるものは何でも使う、言葉と情報による心理戦。その戦いのために怪物にならざるを得なかったのか、元から怪物だったのかは定かにせず、エリザベス・スローン(ジェシカ・チャステイン)の背景よりも、彼女が蠢き、足掻き、吠える様を捉え、映画の内外どちらにおいても彼女を見ている者が畏敬と驚愕と嫌悪を強くしていき、それに比例するようにスローンが対峙しているものの強大さと凶悪さが見て取れる脚本の構図が見事。そういう怪物同士の喉笛を掻っ切らんばかりの戦いで、唯一仕事(利害関係)が絡まないフォード(ジェイク・レイシー)との感情のぶつけ合いにおいて、このままでは私は怪物ではなくなってしまうから出て行ってくれと拒絶するシーンが、スローンの裂け目だったように思う。だからこそ、フォードが終盤に見せた動きが、彼女を支えたのではないかと。
 ジェシカ・チャステインはこれだけの怪物を演じながらも、最後に見せるスッピンと、外に出た時の立ち姿には孤高としか言えない美しさがあった。これだけでも銭は払う。そしてここでも一人、汚い世界で咲く一輪の花のような清廉さを持ったイケメンハゲことマーク・ストロングの存在感はひときわ際立っておりました。
 フィクションではあるんだけど、彼女は一体この後どこへ行こうというのだろう。怪物は静かに死ねるのだろうか。何やらそんな事が気になってしまった。