不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

ブレードランナー2049/あの光を夢だと思った


 ヴィルヌーヴの作品は物語が遅く、見ている者が先回りしてしまうところを、後からゆっくり追いつたり、いつの間にか追い抜いて見果てぬ地平にいたり、不意に背中を押していったりするのだが、今作でもその筆致は健在で、見ている最中や見た直後よりも、見終わって少し経ってから感じ入るものがあるほど遅く、それは前作『ブレードランナー』が「近未来を描いた過去作」であり、そこから35年経った『2049』が「過去作の未来であり、現在の少し先」である事などを考えると、作品とフィットしているように思えた。まぎれもなく、前作の続きであり、あの世界と地続き。テレビはいつもブラウン管。傘は絶対ビニール傘。大きなソニーの広告が輝いている。
 ロジャー・ディーキンスの撮影による出来上がったワンショットワンショットに対し、物語も人物も幾分揺らぎがあって、それは言うまでもなく「本物」と「紛い物」の揺らぎでもあり、彼・彼女らレプリカントが垣間見せる理屈でない感情の爆発や吐露がその境界線になるのだろう。もはや歴史的キャラクターであるはずのデッカードハリソン・フォード)ですら、戸惑い揺らぎ、不安な顔を見せてくる。巷間言われているジョイ(アナ・デ・アルマス)とのあれこれはちとアレで、『her』の亜流のように思えてしまったけれど、それはK(ライアン・ゴズリング)の歪さや揺らぎの現れでもあるし、だからこそ巨大ホログラムと相対した時の表情に繋がるのだとも思った。
 レプリカントの反乱の話ではあるし、語ろうと思えば語れる部分はやまとあるけれど、あくまで個の物語として描かれており、それは俺がいま泣いたり怒ったりしているのは俺の感情であっておまえのものではない、という宣言のように思えた。
 撮影も音響も高いレベルの中、なかなか難しい役柄を揺らいだ瞳を携えて細やかな演技でもってゴズリングは魅せてくれた。他の俳優もよかったが、特筆すべきはサッパー役のバティスタだろう。冒頭だけの出番なれど、キーとなる役柄を、こんな味わい深く演じられるとは。WWE時代からわりと器用ではあったが驚いた。メガネがいい。優れたSFはそこでどんな生活をしているのか、気になる。Kもデッカードも。予告で見たのに、彼らの邂逅シーンにはドキドキしたよ。
 過去に固執せず、遠い未来を夢見るわけでもなく、現在ただいまの少し先を歩くためのものだとする、世界の変質、私たちの認識、抱える希望と虚無というヴィルヌーヴの回答として、私は軽い拍手の後で、肩にポンと手を置きたくなってしまった。