不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

伝説になれなかったバンド

 昨夜は予定通り「情熱大陸」のThe Yellow Monkeyの回をオンタイムで見た。久々にこの番組を見たが、相変わらずドキュメンタリーとしては浅薄なものだけど、一人ではなくバンド四人に密着していたし、30分のテレビではこんなものかと思うので、まぁそれはいい。ただ、この番組に限らず、再集結以降、イエローモンキーの事を「伝説のバンド」扱いしているのには違和感を抱く。絶頂期で解散したというのも間違いだ。彼らは絶頂期を越えられないと悟ったから、解散したのだ。あの時、活動休止に疑問を持ったファンはそれほどいないのではないか。「情熱大陸」に至っては「1990年代は彼らの時代だった」とまで言っていた。そんなわけはない。
 どちらかといえば、ザ・イエローモンキーは時代とズレたバンドだった。スタイルはいいが長髪ロンドンブーツにパンタロンといういで立ちで、化粧はしているがヴィジュアル系とは言えないいかがわしさを持ち、全員バンドネームをつけているのに本名丸出しで、口を開けば気の抜けた喋りしかせず、されどタレント紛いの事はほとんどせずに音楽一本勝負で、音はロックなれど昭和歌謡の香りを携え、にもかかわらずお茶の間を意識しているが紅白には一度も出られず、ライブをやればソールドアウトで観客を魅了するが、オリコン一位はとっても最後までミリオンヒット連発のご時世に100万枚売る事はなかった。これのどこが「彼らの時代」だったのだろう。
 だが、そういった部分がファンに熱狂的に愛された所以なのだろうとも思う。愛嬌がある、といえばいいのか。再集結の時に書いたけれど、《ステージ上では完璧なファンタジーとして君臨していたけれど、その裏で彼らがそのために肉体と魂を削っている》から、我々は彼らを「俺のバンド」と見て熱狂していたのだろう。
 もし「伝説のバンド」と言うのなら、どこか神話性、謎めいた部分が必要だと思う。されど、イエローモンキーにはそういう部分がない。赤裸々とまでは言わないが、いろいろと曝け出していたバンドだった(吉井の結婚とかは隠していたけどね)。それは活動休止の時も、解散する時ですらもメンバー全員が雑誌紙面に登場し、自分の気持ちを伝えてくれた事からもわかるだろう。吉井は「自分が解散の下手人」と責任を負い、他の三人は「吉井を支えてやれなかった」と悔やんだ一文を読んで、解散を受け入れる事にしたファンは多いと思う。このインタビューを俺は暗記するほど読んで、このバンドのファンでよかったと心から思ったものだ。
 チバユウスケミッシェル・ガン・エレファントの解散について、後日「生き物って死ぬじゃん。バンドも一緒だよ」と言った。それを読んで、仮にアベフトシが生きていたとしても再結成は難しいのだろうと思った。しかし吉井は「解散という名のバンド活動」と言った。ならば「再結成という名のバンド活動」も有り得るのかなと思った事がある。結果、再集結したわけだが、つまり彼らは解散している間も「解散中というバンド活動」をしている気持ちだったのではないか。
 「情熱大陸」を見た姉からメールが来た。姉は「ストーンズっぽくなってきたね」と言っていた。理由を聞くと、「佇まいが。歳喰ってもちゃんとロックでバンドで、その様子に無理がなく嘘くさくないからなぁ」との事だった。俺にとってローリング・ストーンズは伝説のバンドではない。いまなお生き続けているからだ。イエローモンキーもそうだ。伝説になりきれなかった、ならなかったバンドなのだ。
 吉井からメンバーへの再集結の誘いのメールは、「もう一回バンドをやりませんか」だったという。かっこをつけていない素朴な一言からの再開は、いかにも彼ららしい。そしてステージに上がれば、やっぱり時代とズレた格好で、かっこいい音を鳴らしている。吉井はあるライブのMCで言ったそうな(生で聞いたわけではないが)。
「ちょっと時代錯誤で金ぴかで花柄のロックンロールをやっていく」
 これが、再集結以降、俺がもっとも嬉しく思った言葉です。愛してるよ。