不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

ここはどん底じゃない

 上司が「夜ひま?」と夕方頃に誘ってきたので、ひまですよと答えて連れていかれたのは世田谷パブリックシアター。どうやら観劇だったけど、奥様が来られないので代理として指名されたようである。ラッキー。
 そんなわけで『ドレッサー』(作/ロナルド・ハーウッド、演出/三谷幸喜、出演/橋爪功大泉洋秋山菜津子平岩紙梶原善銀粉蝶浅野和之/本多遼/長友郁真)鑑賞。
 舞台は第二次世界大戦下のイギリスのあるシェイクスピア劇団の楽屋。老座長(橋爪功)が、空襲や戦時下における心労で意気消沈、心神喪失気味になっている。公演まであと一時間。16年間、付き人兼衣装係として仕えてきたノーマン(大泉洋)があの手この手で座長を奮い立たせ、何とか今夜の演目である「リア王」を開幕させようと奮闘する――。
 『ドレッサー』という劇も(映画にもなっている)ロナルド・ハーウッドの名前も知らなかったが、パンフレットを読んでみると『オリバー・ツイスト』や『潜水服は蝶の夢を見る』、『戦場のピアニスト』の脚本を書いている人だった。脚本家は全然チェックしないからなぁ。今後は気にしてみよう。
 基本的に楽屋が場面の中心であり、時折り来客(妻や舞台監督、俳優たち)はあるものの、座長とノーマンの二人のセリフのやり取りで進んでいく。一人だと大泉さんはいささか硬かったけれど、橋爪さんとはその丁々発止っぷりがすばらしく、長年のコンビ芸を見ているかのよう。橋爪さんは言わずもがな、名優ですね。うますぎる。声、仕草、緩急、ほれぼれする。
 中盤の舞台袖における嵐のシーンが、劇としては盛り上がりのピークである。わずか10分間で、別段特別な事は何もないのに、そのドタバタっぷりは見事なもの。手を叩いて笑ってしまった。
 であるがゆえに、それ以降は長い長いエピローグを見ているかのよう。ただ、盛り上がりこそないものの、ノーマンが自らをさらけ出していく独白が真に迫り、グッとくる。哀れみなんていらない、ここはどん底なんかじゃない、だけど王がいないなら道化は、私はどうしたらいいのか――ビターな物哀しさを残し、ある音と共に幕は下りる。人生はおかしくて、哀しい。
 三谷演出はストイックで、必要最低限で最高の効果を上げていた。実は三谷幸喜の舞台を生で見るのは初めて(ビデオではある)。こんなにおもしろいとは思わなかった。また見たい。まぁそう簡単にチケット取れないだろうけど。三谷作品以外でもいいから、また演劇を見に行こう。