不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

鬱と言葉

 今の日本人ってそこまで相撲に興味あったっけ? と思うくらい朝青龍の件で騒いでいますね。世間というかメディアが。騒いでいる割にはたいした事は何も言わないわけだが。知り合いが、
「要はあれでしょ? 中学生が学校行事サボってゲーセン行ったら先生に見つかって停学喰らってふてくされてるって話でしょ?」
 と言っていた。思わず納得。ま、相撲協会や親方が全部知っていたけど放映されて大騒ぎ→手のひら返し→横綱激怒とかいう裏情報もありますが。本当に鬱かもしれんし。しかしテレビのコメンテーターというのは何でこうもアホみたいな事しか言わないんだろ。この件だけじゃなくて、参院選とか事件事故でもそうなんだけど。帰れ!
 あと「相撲辞めて格闘技・プロレスへ行けばいい」っていう話も出たけど、残飯処理じゃないんだから気軽に言うんじゃねえ! 格闘技はともかく、プロレスはそんな甘くねえ! でもやればやればで、いいヒールになりそうだけどね!
 何を言っているんだか。
 朝青龍のことを松尾スズキが「モンゴルに鬱はない」で書いているのだが、納得して面白かった。
《初めに言葉ありき》
《鬱という言葉がなかったら、かの横綱はあんなふうになっただろうか》
 鬱病気味の先輩も始終「鬱だ」「頭が痛い」「私はダメだ」と言葉に出している。言霊ってあるよな。

ただ、もっとそのなんだ、想像が必要だと思う。
誰しも、生きていく中でものさしを持っていて、でも皆そのものさしの長さは違う。
自分の中のものさしと、他人のものさしの違いを、補完しようとして、人はブログなぞを書くのかもしれない。