不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

休日派ホットレモネードくらいうまく作ってくれよフレッシュネス日記

 昨日と同じくラスト休日出勤のラスト。バカスカ降ってくる仕事をドンドコこなしていくが、夜には集中力気力体力すべて打ち止めとなり、帰る。珍しいラムキムチ定食を喰い(これがうまい、ラム肉はいい)、寒いのでホットレモネードでも飲みながら帰るつもりが肝心のホットレモネードがまずかったので少しガックリ。家に着くや眠くてしょうがないので早く寝る、といってもいつも通りの時間だが。

休日派最後のはず日記

 今年最後の修羅場なので今年最後の休日出勤となった、今年最後のはずである、この後何か仕事があっては困る、困るというかしんどい、だが振り返ってみれば昨年はこの後で臨時仕事が入っていたのだ、狂気の沙汰である、あれで燃え尽きたと思ったが年が明けてからの方がひどかった、心身共にヤバかった最初の三ヶ月はこれまでの人生で一番の暗黒期だった気がする、いま思い出すのはやめておこう、夜まで仕事、明日も仕事、これで終わりのはずだと言い聞かせながら。

文章を書く

 会社で新聞を読んでいたら、読売新聞の一面左に「国語力が危ない 『読む・書く』の今 中」という記事が載っていた。縦タイトルは「ブログ まず手書きで」、ブログに書く前にノートに下書きしたらどうか云々パワーポイントはかんぬんという内容だった。今日が中なら昨日が上で明日が下だろうと昨日の読売を取り出したら予想通り、一面トップにあった。一面トップにするようなものなのかと思うが、日本の若者の読解力低下が判明した事を受けてなので、いまが旬と考えたのだろう。上のタイトルは「文章作れぬ若者」で本文の出だしに、

「この公園には滑り台をする」

 という一文があり、これは横見出しにもなっていた。言うまでもなく若者の駄目な文章の代表例であり、《こうした「主語・述語が不明確で、意味が通じない」文章》と書かれて、もう少し後には《「なぜこのような考えが現実性を持ちやすいのかを、解明が進んでいる」》という一文も引用される、前者は予備校の現代文の講義で《受験生から提出された要約文》、後者は卒業論文であり、そういったものとして書くには適切ではない、というか間違っているであろうが、たとえば『未明の闘争』以降の保坂和志の文章を読むとこうした脱臼したかのような文章がわんさか出てくるので、「これはこれでありなのでは」とつい思ってしまいそうになる。記事では他にもこんな悪い例もあると言わんばかりに書く。

原稿用紙2枚分、計800字の作文を、すべて「、」でつなげ、1文で書いてきた高校生もいる。

 だがちょっと待ってほしい、とは朝日の「天声人語」でよく使われる言い回しだがそれはともかく、これはたとえば蓮實重彦、あるいは金井美恵子のような息の長い一文、ヌーヴォー・ロマン的なものを狙った可能性はないのか。記事にはこれが何の文章なのかは書かれていない、試験問題の回答か、読書感想文か、作文の授業で書かれたものか、場合によっては立派な文章の個性に思える。むろん、立川談志が言うように、型があって型破りであり型がなければ単なる型なし、何もわからず書いたかもしれないので諸手をあげてこの個性を活かすんだ、とは言えないが。

 こんな文章でも毎日書いていれば自分なりのリズムや文体みたいなものができてくるのだが、仕事で書く文章にも出てきてしまう時があって、たまに書いてからちまちま修正する事もある。文章とはおもしろい、言葉の使い方つなぎ方で人柄が見えてくる気がする、といった事は以前書いた。読解力が低下しているかどうかは知らないが、文章を書くのも読むのもおもしろいから、オススメではある。新聞記事を読んで何となく書き出したらまとまらなくなってきたのでここで終わります。

21時のカフェラテ

 コーヒーでは基本的にカフェラテを飲むのは単にそれが好きだから。一日四杯を上限にしているのは単に四回くらいしか飲もうと思わないから。21時以降に飲まないのは単に眠れなくなるかもしれないから。以前は21時過ぎでも飲んでいた。何でだっけと思い出したら、まだカミさんと住んでいなかったからだ。仕事の後、どこかでメシを喰い、酒を飲まない俺はまたどこかでコーヒーを、カフェラテを一杯飲んでから帰る事が多かった、家で一人分を淹れるのが面倒だった、たまに淹れていてそれはそれでいい珈琲時間だった。もうこんな時間だけど一杯飲もうかと言ってよくスターバックスへ行った、あの頃はスターバックスにばかり行っていた気がする。同棲してからは、俺が寝付きが悪いのはカフェインのせいではないかと考えて、実際カフェインのせいでない気がする、深煎りの豆だし、ともあれ21時以降は避けるようになっているのだが、でもやっぱり一杯飲みたいよねとなったら、21時過ぎていても淹れて二人で飲んでいる。たかがカフェラテを21時過ぎに飲むだけなのに、いつもちょっと不良になった気分になる、なんて安くて気楽な不良だろう。

キッチンの悪魔/悪魔が来たりて美味作る

 表紙写真がかっこよかったので手に取ってレジに持っていったら思いのほか高くて、何故にと確認したらみすず書房から出ていたマルコ・ピエール・ホワイト『キッチンの悪魔 三つ星を越えた男』(みすず書房、千葉敏生訳)。イギリス人初にして最年少三つ星獲得シェフの自伝なのだが、これがみすず書房から出るのは少し不思議だ。『中国くいしんぼう辞典』という本も出していたので、最近料理関係に強い編集者が加わったのかもしれない。破天荒で、ロックスターのようなシェフの経歴はわりと読み応えあるのだけれど、できればもっと写真、本人も仲間たちも、そして何より料理もどういうものだったのか実際に見てみたいし、何よりも彼の料理がこれまでと何が違いどこがすごいのかをもう少し知りたかった、何せ三ツ星、「それを味わうために旅行する価値がある卓越した料理」なのだから。その辺は活字だけだと伝わりにくく、映像の方がはるかに伝わってくるものである。

 ミシュランの星といえば、先日行ったINUAが今年のミシュランで二つ星を取ったという。二つ星は「極めて美味であり遠回りをしてでも訪れる価値がある料理」との事で、俺の場合は全く遠回りはしておらず、「極めて美味」なのかどうかもわからないけれど、特異な体験をしたのは確かでその事は行った日に書いた。

現代料理を喰った - 不発連合式バックドロップ
続・現代料理を喰った - 不発連合式バックドロップ

 結果的ではあるがおそらく初めて星付きレストランで食べたわけで、まぁだから何だといえば何なのだが、あれが世界的レベルの(味も値段も)レストランなんだなと後から思うのであった。これ以上の三つ星レストランとはいったいどんなレベルなのだろう、今後行く事が果たしてあるだろうか、なさそう。

そのうちやってみたい

 最近、同人誌、リトルプレス、ZINEをよく買っている、ネットで古本屋でその辺で見かけておもしろそうだと思ったらさっと買ってしまう、思ったより高値なのもあるし、内容はむろん玉石混淆ではあるけれど、ネットで有料記事にするのではなくわざわざ紙にする、どの紙にするのか、大きさやデザインなどを考える、そこに意思がある。熱意と言い換えてもいい、文章は二の次である、二の次だが大事なのでつまらなければもう買わないし、とってもおかない。姉も買っているらしく、「同人誌いいよね」というがあなたの場合はBL的な何かではないかと思うも、個人の意思、嗜好がこめられたものを読むという意味では同じだ。今日は『LOCUST』という雑誌が届いた。最新号が岐阜県を特集しており、小島信夫についての記事もあると聞いて、ついでに東京の西を特集した前号もあわせて二冊買った。思いのほか小さい判型だが内容は濃厚のようだ。小島信夫が好きなのだが、小島信夫に触れた文章も好きだ、保坂和志は触れすぎだと思うが。俺もそのうち何か書きたいし、作りたいと思った、何を書いて作るのかはまだ考えていないけれど。

LOCUST - BOOTH

全部気圧のせい

 カミさんから「気圧のせいか、今日は不調気味」とメールが来たので、ふと昨日の気圧を「頭痛〜る」で調べてみたら朝から駄々下がっていたので、自分の不調はこれのせいかと気づいた、今日も下がっていたようだが特に何ともなかった。気圧は全ての人に等しく影響を与えているはずなのに、平気な人とそうでない人は何が違うのか、頑丈さか繊細さか、俺は別に繊細ではないが。明日はどうなんだ。