不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

専門知は、もういらないのか/いるよね

 トム・ニコルズ『専門知は、もういらないのか』(みすず書房、高里ひろ訳)。これはメチャクチャおもしろい。ブログから生まれた本なのもあって読みやすく、左右硬軟の話題を織り交ぜながら、無知や、正当でも誤用でもない新たな反知性を、身も蓋も容赦もなく滅多斬り。アメリカの話題ばかりだが、どこかで(というか自分の見ているネットの画面で)見た事ある風景ばかり。他人事でなく、自分は大丈夫ではなく、みなどれかに当てはまっているのでは。笑っていられない、もっと学べ、リテラシーを持てと言うしかないが、何で学ぶかでまた変わるので、その辺の判断が難しい。だから、やはり専門家(専門知)は必要。という事を、今日起こった出来事をめぐるネット言論を見ていてまた痛感したのであった。

専門知は、もういらないのか

専門知は、もういらないのか

プラシーボ

 今日のチキンライスには大さじ一杯のお酒が入っているよ、とカミさんに言われたのは食後で、食べている最中は酒の味はせず、さすがにアルコール分は飛んでいるだろう、でもそう言われたら酔っちゃったりしてね、と笑っていたら腹の部分がふんわりしてきたので酔ってきている。酒が入っていたという暗示、プラシーボ効果ではないかと思うのだが、これはプラシーボ効果だと思っていて効果があるものか、そもそも酒は極少量でも入っていたのだからプラシーボではない、だがしかし、とあれこれ考えたが、とにかく確かなのは、いま眠いという事だけである。

ねこもみ

 いまこれを書いているすぐそばで、カミさんが虎猫を揉んでいる、マッサージみたいに全身を揉みしだいている。ニャーニャー言って嫌がっているのかと思ったら気持ちいいらしい、最初は冗談半分でグニグニ揉んでみたらどうやら気に入られてしまい、今では寝る前くらいの時間帯になると揉むようにせがむようになった。やり始めた以上は揉み続けなければならない、猫を揉む夜、猫を揉む人生。虎猫は誰でもいいようで俺が揉んでも気持ちよさげで、黒猫も大丈夫で、しかし白猫は俺が揉むどころか触るのも嫌がる、シャーッと言う。嫌われているようでいて、カミさんが不在の時は近寄ってくるし腹に乗る事もある、よくわからない。わからないのが猫だ、人間如きにわかってたまるか、という顔をして生きている。

休日派銭湯日記

 「RAKU SPA 1010 神田」へ行く。ここは銭湯サイズながら、癒し・ワーク・交流の要素をバランスよく組み合わせた、都会のオアシスをコンセプトに、細部にこだわった空間でおもてなしするそうで、前の文章は公式HPからコピーペーストしてきた。足を延ばして風呂に入りたかったので、いつかネット記事で見たここに来てみたのだ、確かに風呂は銭湯サイズだが銭湯サイズでも十分に大きい、入浴後は上階の横になれるスペースで漫画を読んだりしながらグデグデ。お盆明けの月曜のわりには人がいたが、まぁ快適に過ごせた。昼風呂は気持ちいいが疲れる。

 淡路町まで歩き、やなか珈琲店で豆を買ってから丸ノ内線。家までの道にあるくら寿司で寿司をつまみ、スーパーで買い物をしてから帰宅。Netflixで昨日少し見て中断していた『シャイニング』の続き。140分以上あるわりには発狂までの経緯が短く荒っぽい、そのぶんジャック・ニコルソンの演技(顔芸)がこれでもかと炸裂している。俺はいつ以来かの再見でこんなんだっけと思いながら見た、初見のカミさんはちょっと笑いながら見ていた、クラシックってネタになってしまう部分がある、シェイクスピアのセリフが諺ばかりというのに似ている。

 少し汗をかいたので入浴なしでシャワーだけ浴びる、日記を書いて、読書をして、寝る。まさかの今日だけ休みで明日はもう出社しろと言われた。仕事があるならまだいいが、なさそうだから、もともとないやる気がさらになくなる。

休日派だるさ100%日記

 十時近くまで寝てしまい、起きても身体のだるさが抜けない。麦茶を飲み、フィナンシェを食べ、塩昆布をひとつまみして、だらりと午前中は過ごす。マシになった昼過ぎに外出、牛すじカレーみたいなものが食べたいと思って商店街をうろついてたどり着いたのがボロネーゼの店だった、なぜだろう、ボロネーゼはうまかった。古本屋や図書館などに寄りつつ散歩、買い物をしていたら疲れてしまったのでフレッシュネスバーガーで一休み、フレッシュネスのタピオカミルクティーもなかなかうまい。それから帰宅、家でも転寝。夜は自宅ラーメン海老味噌、麺類ばかり食べている。本を読む気にならなかったので先日配信されて見始めていたNetflixマインドハンター』S2の続き、E4まで。入浴。日記書き。寝る。

またもや

 またもや無事に終わって、またもや打ち上げ焼肉で、またもや焼き係になり、またもや見事な焼きっぷりで、またもや喰いすぎて今月終わり、となるはずがまたもや臨時仕事が舞い込んでまたもや近々修羅場に入る。またもや体調不良にならんかと心配だが、とりあえず短い休みへ、最後だけまたもやではないのが悲しい。

弁当

 修羅場作業佳境に入り時間短縮のため夕飯は買ってきたトンカツ弁当だった、トンカツ弁当に限らず崎陽軒シウマイ弁当でも何でもいいのだが、弁当は蓋を空けた時に食べる段取りを考えてしまう。おかずの種類、量を見定めながらご飯をどれくらいのペースで喰い続けるのか、汁物がある場合は、と順番などを考えてから食べ始め、味の濃淡によってその都度計算を修正して、自分なりにキレイなフィニッシュへと落ち着けば、満腹であり満足になる──という事を中学の弁当の時からやっていたので泉昌之「弁当」を読んだ時はメッチャわかると共感・感動した。あれがあるあるネタとして描かれたのか、特殊なものとして描かれたのかは知らない。